日本明慧
人心について思うこと
【明慧ネット】かつて一人のベトナム人を訪問する機会があった。彼は幼い頃に見た情景を思い出して言った:10歳の年に、彼は1人の年を取ったおじいさんが靴の修理をして、一回の費用は50元貨幣にすぎないのを見たことがあった。おじいさんは2人のベトナムの軍人の靴を修理するときに、不注意で釘がゆがんでしまった。2人の軍人はわざと悶着を起こしてずっと弁償するようどなった。しかしあの靴は6000元余りもするので、おじいさんは根本的に支払えない!彼は地の上にひざまずいてしきりに哀願した。やじ馬見物をする人はだんだん多くなり、ある人は劇でも見るかのような心でそばで騒ぎ立て、ある人は同情して何百元を置いて去っていった。

彼は突然向きを変えて、家に帰って長年の貯金用つぼを打ち破って、ひと山の小銭をたなごころでささげもってすべておじいさんにあげた。この様子を見て、ある人はこの子供は本当に教養がある!と親指を立てて称賛した。しかしある人は鼻であしらって、彼はどら息子だ、知らない人にこんなにたくさんのお金をあげるなんて、と言った。

この物語は私に天安門に行く同修を思わせた。彼らが天の理のために内心の奥底から最も真正な喚声:「法輪大法はよい!法輪大法は正法である!」を出す時に、中国共産党のあれら人間性のない警官は彼らを地の上で踏んで、力を入れて蹴った。そばで見ていた人達は、甚だしきに至っては悪意の笑い声を出す。

一つの事が生じる時、ある人は自分に関連がないから静観し、ある人は他人の身になって、人のために考える。中国のこの迫害はすでに人神が共に憤っている!もし世間の人は目が覚めなかったら、何もせず傍観するならば、ある日、天災人災は自分のところまで降りてくるかもしれない!その時になって後悔してもすでに間に合わない!

法輪功学習者が天地を覆い隠すような弾圧の中で、強権と悪漢を恐れないで、法輪功学習者が歴史上でも稀である邪悪と嘘の中で、善良と真理に向かって行き、法輪功学習者が周囲の私利と臆病の中で、大義と勇気を現し、法輪功学習者が心地よい生活、すばらしい前途を放棄し、甚だしきに至っては貴重な命を犠牲にして、ただ世の中の善念と良知を呼び覚ますだけで、道義と真相は天地に公にした時に、私達は代価を支払うべきだろうか!

もし私達は立ち上がって、自分の一部のわずかな力を尽くして、「真、善、忍」を堅持する法輪功学習者を支持することができるならば、江沢民集団の残虐と邪悪はこのように凶暴にはならないはずだ。私達は、混乱した世の中で、人間性は依然として善良だと信じている!救援の手を出して、緊急に法輪功学習者を救援してください。たとえ一言、一筆の署名、一つの考え、一項目の行動だけであっても、恐らく予想もできない威力を発揮できるかもしれない。果敢な正義がもたらしてきた無限のすばらしさをあなたに感じさせるかもしれない!

善には善の報いがあり、悪には悪の報いがある!「善と悪の現れの中に各自が得るべき結果が体現されています。衆生よ、将来置かれる位置は自らが選ぶものなのです。」《圓満成就に向かって》