「自我」を捨てて、衆生に責任を持つ
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(明慧日本)師父の「法を正す時期の大法弟子」をいう経文を学んだ時、心がとても大きく震撼し、今日の法を正す修煉に対する新たな認識ができたので、それを書いて共に修煉する人と交流したい。 

  私たちの今日の法を正す時期の修煉と、それ以前および未来の修煉は異なるものであり、師父はほとんど私たちのために歴史上の一切のことを引き受けてくださった。師父は「今の個人修煉においてはほとんど何の苦も嘗めておらず、しかも皆さんが生々世々に造ったとてつもなく大きな罪業も皆さん自身に耐えさせることもせず」と言っておられる。私たちは現在まだ自分自身の生々世々の生命の過程をはっきりとはわかっておらず、さらに深く感じ取ることができていない。しかし密勒日巴佛がかつて密教の修煉で味わった苦を考えれば、この言葉の含みが体得できるのであるから、まして私たちが行っている今日この宇宙全体の大法の中での修煉ではなおさらである。しかも師父はまた1つ1つの最も良い次元を私たちにくださった。なぜ私たちはこのような幸運とこのような大きな幸福に出会えたのであろうか。私たちの一歩一歩迅速な次元の高まりが、師父が私たちのために引き受けて換えてくださったものである。つまり法を正す時期において大法弟子が先天的に与えられた神聖な使命を可能な限り全うできるように私たちを変えてくださったのである。 

  師父はワシントンDC国際交流会において説法なさったとき、「歴史上のそれぞれの時期に異なる天国世界の衆生が中国地域に縁を結びに来ており、彼らは彼らの宇宙体系を代表しています。大法の学習者も異なる宇宙体系から来ています。」とおっしゃった。私たち今日の大法学習者は自分の宇宙体系を代表しており、法を正すために常人世間に来て修煉しているのであって、この面から見れば私たち現在の大法の修煉者はただ自分をどれだけ向上させられるかという問題だけではなく、自分達の宇宙体系にいる衆生のため、さらには宇宙全体の救出し済度し得る生命に対する責任の問題なのである。ここに思い至って、自分が法を正す時期に法を得た幸運を感じるだけではなく、さらに大法弟子としての重大な責任を自分自身に感じる。自分が法を正す中でよく修煉し円満に至ることで、自分の宇宙体系にいる衆生とさらに多くの生命が大法と同化し、済度される可能性がある。この面から見ると、もし法を正す期間によく行うことをせず、あるいは自分をだらけさせているなら、どのようにして自分と数え切れないほどの衆生との関係をうまく配置することができるだろうか。大法の修煉は非常に厳粛で神聖なものなのである。 

    師父は宇宙を救い全ての衆生を救い済度するために、私たち大法弟子のために一切を引き受けてくださったのみならず、宇宙の各界の衆生と世の人々のために全てを引き受けてくださった。私たちは法を正す時期の大法弟子であり、あたりまえのように師父のために世の中の人々や異なる次元の宇宙の衆生の罪業を分担し、善の心をまだ持っており救われ済度され得る全ての生命を救い、済度するべきである。これはまた大法が完全で破壊されることがない理由の、大法学習者の身体における現れである。この法を正す特殊な歴史時期において、師父は私たちにこのような能力も授けてくださったのである。 

  それでは、衆生に対して責任を負うという観点から改めて「自我、自己」という観念を見なおしてみると、それはとてもごく微小なものに見えてくる。この衆生に対して責任を負うという理念が心の中に現れた一瞬の間に、突然、自分によって生み出されたたくさんの執着が溶けていくのを感じる。心の中に沸き起こってくるのは大法を堅く信じる正しい信念と衆生に対する慈悲であり、言葉で言い表せない。実は法を正す中においてたとえ私たちが世間の人あるいは異なる次元の宇宙の衆生のために罪業を引き受けることができるとしても、その根底では、師父が私たちおよび衆生のために引き受けてくださっているのである。例えば、私たちが正念を使って邪悪を除いた後、ほとんどの大法弟子は目立った不調を何ら感じることはなく、有ったとしてもとても早く回復することを、皆さんは知っておられるだろう。これも師父が私たちのために支払ってくれた結果である。師父は限りなく大きな慈悲で私たちの全てをよく守ってくださり、かつては神さえ知らなかった法の理を私たちに教えてくださり、想像できないほど巨大な忍耐で以って私たちにさらなる機会を与えてくださり、私たちがさらに良く、さらに良くなることを願っておられる。これはつまり、私たちがこの過程を通じて私たち自身生まれつきの最も高い境地に戻ることができるように打ち立てられた威徳である。 

  なぜいつも私たちに対する師父の期待に達していないと感じるのであろうか。その原因を探ってみたところ、自我・自己という変異した観念が、私たちが自ら正法に溶けこんでいく上での障害や邪魔となっていることがわかった。自我・自己という観念はあらゆる執着心の根源であり、修煉において私たちが打ち破り、あるいは打ち破られるのを待っているいろいろな良くない思想や観念と執着は、よく考えてみれば、自我・自己の変異した観念と複雑に絡みあっていることがわかる。宇宙の古い邪悪な勢力は自我・自己の変異した観念を使って正法を妨害したり破壊したりし、大法と大法の学習者を迫害するという罪悪を行い、大法と対立するよう仕向けるのである。 

  私たちが法を正す中で邪悪を取り除くのと同時に、正念で自らの自我・自己の変異した観念を取り除くことに注意し、心から法を学ぶ必要がある。邪悪が思想の隙に付け入ることがあってはならず、邪悪にだまされたり、邪悪に利用されてはいけない。邪悪が隠れる空間がないようにしなければならない。「全面的に真相を説明し、正念で邪悪を取り除き、衆生を救い、堅く法を守る」という大法を証明する偉大な過程の中で自分の道を正しく進もう。 

    以上は個人的に悟ったものである。正しくないところがあればご指摘されたし。 

 
    更新日:2011年11月24日
 
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