日本明慧

ニコロース祭りへのプレゼント

2001年12月27日 文/ドイツ大法弟子
【明慧ネット】ドイツの、年に一度のニコロース祭りが到来しました。長い赤い服を着て、大きな袋を持ったニコロースマンがいろいろなチョコレートを子供たちに配っている姿がいたる所で見られます。この日、幼稚園帰りの子どもが、きゅうにおおきなスーパーへ、いきたいと言い出しました。すぐに、そのスーパーに行き、なかに入ったとたん、ニコロースマンに会いました。かれは、子供にチョコレートをあげました。子供は礼を言ってわかれてから、「どうしてニコロースマンからプレゼントをもらっても、お返しをしなくていいのかな?」と思いました。子供は、そう思うと、一枚の新聞を持って、戻ってそのニコロースマンに渡そうしましたが、ニコロースマンは、ちょうど二人の子供にプレゼントをあげている途中でした。しかも二人の子供の親は、私の知人でした。この時、私には、「まあ、やめよう!ニコロースマンは今、忙しいし、二人の子どもの親へ挨拶をせんといかん。、それに、ニコロースマンと話す暇があるかないかは、分からない」と常人としての考えが湧いてきました。。実は、この考えの背後には、気づきがたい恐怖心が隠れていた。それは、人から誤解を招きたくないし、メンツを失なうことを恐れるあまり、知人の前で洪法する勇気が無いことです。はっきり言うと、自分の利益上、損をする事を恐れているに他ならない。そうして自分に「まあ、いいか、どうせ周りを通る人は、ニコロースマンだけではない、その人達の一人一人に、新聞を配る事ができるわけではないのだから」という理由をつけて、自己弁護をしてしまいました。しかしそのニコロースマンが一回りしてから、私のそばに回ってくるとは思わなかった。「これは決して偶然のことではない」と思いました。
「社会で接触する全ての人は皆私たちが真相を伝える対象なのです。真相を伝えることから現れたのは大法弟子の慈悲と世人を救い済度することです。」(師父経文《北ヨーロッパ法会の皆さんへ》)。
ニコロースマンは非常に忙しそうなので、私は、じ-っと、彼の手が空くまで待っていました。それから、「これは、私からのプレゼントです。宜しくお願いします」と言いながら渡しました。すると、意外なことに、そのニコロースマンは、新聞に対して非常に興味が湧いてきたようでした。結局、私達は、長く話し込んでしまいました。仕事の都合で、話を続けるどころではなくなったので、彼は、「宜しければ、電話で詳しく話しましょう」と言って、名刺を渡してくれました。名刺を見た私は、とても嬉しく思いました。このニコロースマンは、国際特赦機構(アムネスティーインターナショナル)に勤めていたのです。国際特赦機構の役割の分担は、はっきりとしています。私の在住都市の特赦組は、エチオピアの担当であるため、この二年来、我々がなんども努力したにもかかわらず、ベルリン市の一つの担当組を尋ねてくださいと、それとなく断られてしまっていました。ずっと国際特赦機構からの支持を得られないため、洪法はなかなかうまくいきませんでした。今回の事は、「求めずに得た」と言えるのではないだろうか、師父からのこのニコロースプレゼントに感謝します。その後、我々は、このニコロースマンのお陰で、国際特赦機構の支持を得ることができ、さらに、一緒に多くの活動計画を立ててくれました。このことから、さらに深く邪悪を暴露すること、大陸の法輪功学習者の圧力を軽くすることを期待しており、我々の在住都市の洪法活動は、新しい階段に入るよう頑張っています。