日本明慧

大法の要求を第一にする

2002年1月3日 文/ニュージーランド大法弟子
【明慧ネット】法を正す時期において、大法は我々に対して絶えず新たな、より高い要求があります。一人の大法粒子として、永年の古いしきたり、人間としての観念を捨てるべきで、たえず自己を調整し、法を正す要求に応じて、師父の法を正す進展に合わせなければなりません。
母子家庭の母親の私は、いつも外へ出て法を広げたり、真相を伝えたりしているため、時間通りに家に戻って、ご飯を作ったりすることができません。例えば家に帰ったら、お腹が空いたよと、息子に文句を言われるのはしょっちゅうです。従って私はこう思いました:法を正す進展が早くなるにつれて、より多くのやるべき事はしなければならない。息子に家事のやり方を教えるべきだ、後顧の憂いをなくさなければならない。すると、二ヶ月後、16歳の息子は殆どすべての家事ができるようになりました。それから私は大法のことで、遅く帰ったにしても、息子もご飯を作っておいてくれました。昨年の9月、前後20日間に渡って、SOS緊急救援徒歩活動に参加したため、家にいなかったにもかかわらず、息子は、既に一人で生活のすべての事をやり遂げました。今現在私は、法を広げに行っても、息子の事を心配しなくなりました。にもかかわらず、ある日、「お母さん、僕のクラスメートでも、僕ほどこんな多くの家事をやってないよ」と私に言いました。これに対して、「お前は、まだ理解できないかもしれないが、母さんは法輪大法を修煉して、もっと高い基準で自分を律しているので、大法修煉者の子供としてのお前も、同じようにもっと高い基準で、自分を律するべきじゃない? 母さんの家事の手伝いをしてくれれば、私は、何の心配もなしに、大法の事に専念できるでしょう? そうしたらお前も、同様に大法に力を注ぐ事になるでしょう」と説得しました。息子はようやく、うなずいて納得しました。
法を広げる需要に応じて、パソコンを使えるようにしなければならないことになり、パソコンに興味がないため、家にパソコンがあるのに、ずっと使えない状態のままでした。今現在、法を広げる事は、パソコンを必要とするようになったため、別に好きでいようがいまいが、自信があろうがあるまいが、覚える決意をしました。大法の要求に応じるのは、何よりも重要だと思っています。しばらくすると、簡単なパソコン操作を覚えました。
修煉の過程において、いつも自分の慣習や観念は、大法の要求と相反する事にぶつかる事があります。しかし我々は、この時、人間から脱皮する良い機会で、自我を捨てて、大法の要求を第一にする事に、はっきりと気づくでしょう? 本当に「真に大法を修すれば、唯此れだけを大と為す」(師父経文《法を得る》)というように実践できるでしょう。