日本明慧

法を正す時期の新しい学習者

2002年1月21日 
【明慧ネット】私は2001年5月に法を得た新しい学習者です。私は他の学習者のようによくできていないので、本来私が話すところではないはずですが、この様なチャンスはめったにないので、言わせてもらいます。私は法の勉強がまだ浅く、間違ったところを学習者の皆さんから慈悲の心で教えてもらいたいのです。
1997年すでに法を得た兄は我が家族全員に一人ずつ一冊の『転法輪』と煉功用ビデオを与えて、5セットの練習法も全員に教えました。当時私は余り気に留めていませんでした。数ページしか読んでいません、余り信じていなかったので、そのまま放っておいていました。今考えれば、その時にはまだ縁が繋がっていなかったのかもしれません。昨年の5月に私は姉と一緒に73歳の母親を見舞いに行った時、母親がたくさん吐血したにも拘らず体が全然悪くならなかったことを聞きました、また兄と姉たちから師父が如何に苦労して人々に慈悲を施し、済度することを聞きました。兄と姉たちの師父に対する感激した様子及び二人の人格の変化を見て、私は好奇心と感激の気持ちを持って、もう一度『転法輪』を読みました。考えられないが、今回は97年に本を読んだ時の感覚とまったく違って『転法輪』の中に書かれたことを全て本心から信じるようになりました。私は涙を含んで『転法輪』を捧げて師父に「師父、もし許していただけたら、今から私は師父の弟子になりたい。私は他に願望がないが、ただ本来の家に帰りたい。師父、この遅刻した弟子を受け入れるようにお願いします。」と言いました。こうして私は師父の法像に向かって長く、長く見ていました。
ある日、私は夢を見ました。夢の中で学校へ行くところで、8時に授業が始まるのですが、8時半になっても、まだ学校に着いていません。私はとっても焦っています。急いで学校へ走っています。目が覚めたとき私は思いました:確かに私は遅れました。その後、私は一生懸命に法を学び、遅刻によって遅れた授業を補っていました。
遠方から家に帰って、急に師父の経文を読みたくなって、近所の修煉者に連絡を取るために方々尋ねてみました。そして李さんのことを聞きました。李さんの家に行く途中、 私は考えました:こんな時期にもし李さんが自分は大法弟子であることを言わなかったらどうしよう。だが李さんの家に行って事情を説明したら 熱烈に歓迎してくれました。私がはっきりと覚えていない第5セットの功法も教えてくれたし、帰るとき、師父の経文と明慧ネットの資料ももらいました。そして自宅の電話番号も教えてくれて「用事があったら連絡してね」と言われました。私はとても感激しました。まるで家を失った孤児が父母を見つけたように、家を見つけたようにその時の心情は何とも言えませんでした。師父の経文を勉強したら、ますます師父の慈悲と佛の恩が溢れていることを感じました。明慧ネットに発表された学習者の修煉の道程を読んで涙が出ました。修煉者たちがこんなに偉大でこんなに無私であることに感動させられました。彼たちの精神に私の心は打たれ、感染されました。私も法を正す行列の中に飛び込むと決心しました。師父の弟子である以上、師父を護る、法を守る責任があります。私は法からいいことを得るばかりで、法のために何も払いたくない人になりたくありません。恩師は我々が戻れるために、我々が曲がり道に迷い込まないために、常に我々を見守っていますし、導いています。我々が人殻を抜けて神に回帰するために師父はどれほど苦しみを耐えてきたのでしょう。我々が知っているのは一杯一杯の毒薬、我々が知らないものはまだどれほどあるでしょう。
師父の慈悲と苦しみに耐えている済度に対して我々は感激と涙だけで返すのは不十分です。我々は世の人々に師父の偉大さと法の偉大さを証明しなければなりません。もし我々に現在世人を済度する慈悲心がなければ、将来にはどうやって衆生済度できるのでしょうか。そして私はお隣から行動し始めました。始めの効果はあまり良くありませんでした、経験を纏め、挫けずに自分の行動で法を実証したい。あらゆることを法に従って判断する。法を得て一ヶ月あまり、初めて真相資料を配る時、その晩の11時過ぎ、主人と子供が寝てから私はまず正念を発した後、一人で出かけました。その時、周りは真っ暗でとても怖かった。私は心の中で「自分がやっていることは最も正しいことであるし、師父も護ってくれるし、何も危険はないはずだ。師父は『転法輪』の中に「わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります。」と申されたじゃないか」と考えました。そして私は真相資料を配りながら正念を発していました。このように私は法を正すための第一歩を踏み出しました。その後回数が増える毎に怖い心が少なくなってきました。私はこう悟りました:法を正すことをする場合に深く潜んでいる執着心は暴露しやすく、見つかったらすぐ取り除く。法を学び、修煉するのは執着心を取り除くためではないか。執着心が無くなったら、真、善、忍に従って行動すれば宇宙の特性に同化したのではないか。その時本当に自分の家に帰れるでしょう。恩師の慈悲と苦しみに耐えてきた済度にもよい恩返しになるでしょう。