日本明慧

小説:柄の生えた卵

文/バイ雨
【明慧ネット】張お婆さんが法輪功を学びはじめた。お爺さんである張満屯は、このことに喜びと心配をともなっていた。
張満屯は村で有名な頑固オヤジである。一旦自分が認めたものに、入り込んでしまうと、どうやっても止めることが出来ない程である。張満屯は頑固だが皆に尊敬されており、年輩者として優れた見識、経験、才能の持ち主で、村の幹部たちもトラブルにあった時は、しばしば素晴らしいアイディアを提供してもらっている。
さて、張お婆さんは法輪功を始めて以来、元気になり、その変化をずっと見守っていた張満屯はいつも嬉しそうな顔つきで、人に会うたび“気功というものは不思議だ。薬よりも効くし、本当に経済的で、実用的だね。”と言った。
“お爺さんはなぜ法輪功を学ばないの”と聞かれると、自分の元気であることに自慢をこめて“わしの身体はこんなに丈夫だから、なにも学ぶ必要がないよ”と答えた。
張お婆さんはいつもお爺さんに“世間のことは全て神様によって按配されていて、善悪には報いがあるのよ。だから道徳を重んじなければならないし、世の流れにばかりついて行ってしまってはよくないのよ”と言った。
そのたびお爺さんは “わし、張満屯はずっと各地をかけめぐっており、風も雨も恐れず人生を送ったが、すべて経験によって仕事を進めてきており、目に見える確実なことしか信じない。どこに神様が存在するというのだ。この目で見たことはないから信じない。”と不機嫌な表情を見せた。
“あなたはどうしても目が醒めないね。あなたが知らないことはまだまだ多いのよ。すべて経験するのは無理でしょう。わたしもあっという間にお婆さんになってしまったけど、法輪功を学んでから、人間の生きる目的を知るようになったのよ。”
“この婆さん、勝手に法輪功を学べばいいのに…字もろくに書けないくせに、どこからそんな話が出てくるのか。突然、哲学的な話をしゃべるなんて…だとしたら人間が世に生まれた目的は何だ。”
お婆さんはふいに真顔になって“人が世に生まれたのは苦労して修煉し、修煉の成就により天国に戻り、人間の罪から解脱されることですよ。”
お爺さんはハッハッと笑い出し、“どこに天国があるのか。あんたが学んでいる法輪功が神様となんの関係があるのだ”と聞いた。
“法輪功は神様から伝えられたもので、幸いあなたも出会ったのだから学んだ方がいいと思うわ。それに、お酒とタバコも少しは控えたら。”と言った。
“自分一人でゆっくりと続けたらいいじゃないか。わしは一生経験と能力により飯を食っていくから。もしうちのニワトリが、柄の生えた卵を産むような奇跡が起こったら…”
お婆さんはお爺さんを見つめながらも話を続けようとはしなかった。
時は流れ、お婆さんは相変わらず法輪功を続け、お爺さんは経験と能力による生き方を続けた。ある日、二人がお昼ご飯を食べている最中に、突然ニワトリが大声を出した。ふだんとはまったく違う鳴き声だった。お婆さんは不思議に思い“行って見ます”と言うとお爺さんも座っていられず“わしも行って見る”と言った。
夫婦でニワトリ小屋にいってみるとお爺さんは大変驚いた。一瞬言葉に詰まって何も言えなくなった。
“お婆さん、これは本当にうちのニワトリが産んだ卵なのか。どうして卵に柄が生えているんだ?”とやっと話し始めた。
お婆さんは笑い出し“お爺さん、この間あなたは何と言ったの?”
“あれはただ冗談で言っただけで真剣には思っていないよ。”
お婆さんは真剣に“人間が世の中で言った言葉、行ったこと、すべてが記録されており、良いことをすれば後に良い報い、悪いことをすれば後に悪い報いが待っているのよ。”
お爺さんは意気消沈し、心配な顔つきで“わしは悪口なんか言ってない。この、この、この卵に柄が生えているなんて…もしかして神様は本当に存在するのかもしれない…”
“実に「頭上三尺に神あり」という話があるように、やっとあなたも悟り始めたのね。”
お爺さんはしばらくすると李先生の法衣姿写真の前に立って、敬意をこめて“李先生、わたしは心底感服しました。”お婆さんがなにかを話そうとしたとき、お爺さんにとめられた。“お婆さん、なにをぼーっとしているんだ。はやく李先生の「転法輪」を持ってきておくれ。今日からわしも法輪功を学ぶから。”
(1992−1994年に中国大陸で起こった真実の物語)