日本明慧

中国人に真相を伝えることについて

2002年1月9日 文/ドイツ学習者 
【明慧ネット】最近、私は李先生の経文と明慧編集部の文章を勉強することによって、今中国人、特に中国大陸から来た中国人に真相を伝えることは当面の急務だと分かってきました。それによって、私は自分が中国人に真相を伝える時にあったことやその教訓を学習者の皆さんと交流したいので、この文章を書きました。
 私たちは毎週の日曜日の午前中にハイデルベルク(Heidelberg)の城公園で煉功します。去年の夏休み、私は城に観光しに来る中国人観光者がとても多いと気づきました。でも、私たちが煉功するところは公園の奥にあって、しかも高いステージのようなところで煉功するから、私たちを見える人は少ないです。だから、私はみんなと煉功するある日曜日に、観光客が必ず通りかかるところに真相資料を配りに行きました。初めは土曜日だけだが、それから毎日に行くようになりました。
 私は初めて配りに行ったとき、六、七人の観光グループに会いました。最初は、私はどうすれば良いかと分からなかったです。そして、その人たちの中に一人の優しそうに見えた人を目にして、その人のところに行って「法輪功に関する資料はどうぞ」と話しかけたら、思いもかけなかったことには、彼は「法輪功?僕は君たちの事を全力支持します。ちょっと待ってくださいね。他の人が要るかどうか聞いてくるから。」と言いました。彼は他の人に話したら、すぐその六、七人は私を囲んできて、彼らの目は皆私の持っている≪平和の歴程≫に集中していたが、口は「興味がない、全然興味がない。」と言いました。私は彼らが資料をもらいたいけど、もらう勇気がないとわかって、だから「ここはドイツです。中国ではないです。もし皆さんが資料を読み終わって、中国まで持ち帰りたくないなら、帰国する前資料をここに残しても良いじゃないですか。」と言いました。その中一人は「私たちは皆党の幹部です。」と心配そうに言いました。しかし、私は「ちょうどいいです。それは皆さんが読まなければならないものですから。」とまた言いました。ためらった彼たちはやはり資料を受け取る勇気がなくて、公園の正門に向かって離れようとしました。しかし、その時、一人の人は突然、私の所に戻ってきて、「私がもらうから」と言いながら、手早く私の手から一冊の資料をとって自分のポケットの中に入れたのです。もう一人はそれを見て、彼も急いで戻ってきて一冊の資料を受け取ったのです。
 この経歴によって私は少し自信が出てきました。そして、資料を配る回数が増えるにつれて、いろいろな人や質問に会って、私はだんだんどのように真相を伝えればいいかと分かってきて、しかも心境もますます穏やかになりました。しかしながら、最初のころ、私は資料を受け取らない人に会ったら、彼または彼女にもう話しをかけないとしていて、しかもそれが自分の心性を守ったと考えました。と言うのは、自分は彼たちの悪い態度に穏やかに対処できたからと思ったからです。でも、後で、私は「それが正しくないことで、この人たちはこの人生の中に国を出るチャンスはこの一回しかないかもしれない。もしかしたら、この真相を得るために来たかもしれない。邪悪勢力の原因や彼たちの誤解と怖がっていることによって、彼たちが真相を知ることを阻んでいる。だから、私は簡単に見捨てるべきではない。善の心と大法の理で彼らを阻む原因を打ち破るべきだ。彼たちは資料を受け取らないとすれば、私はまだこの口があるから話せばいいじゃないか。」と考えていました。それから、また資料を受け取らない人に会ったら、私はまず微笑みながら、彼あるいは彼女に「真、善、忍も読まないですか。」ときいて、次に迫害の事実や政府がいかにデマを飛ばしているかと言うことを話します。理智を完全に失ってガミガミに言う人を除いて、他の人たちは皆ちゃんと話しを聞きます。たまに、その中に質問をする人がいます。さらに、話しを聞いた後、資料を受け取る人もいました。私は資料が受け取らなくても、彼たちは少なくとも真相を多少聞いたから、それは彼たちの生命の永遠のためにいいことだと思います。
 ある情報諮問日に、一人の中国人が私たちの所に来ているのを見ました。彼の様子から見ると中国からの観光グループの人だと分かりました。私はとりあえず彼に資料を受け取るように声をかけたが、彼は返事もせず、何にも見えてない、何も聞こえていないように歩き続けました。私は彼の隣に並んで、歩きながら彼に私たち学習者が実演している功法を紹介して、また「真、善、忍」や迫害について話しました。私たちが遠くまで一緒に歩いたが、彼はずっと話そうともせず、最後に私は礼儀正しく彼に別れの言葉を述べました。一時間後、私は別のところでまた五、六人の中国人に会いました。彼たちの方に行ったら、その中の一人はさっき私が彼と会ったと言いました。よく見たら、その人はさっき私がずっとしゃべりかけた人でした。今回私たちは長い時間、話しをしました。彼たちもたくさんの質問、特に私が煉功してから感じたことについて聞いてくれました。それで、私は彼たちに自分が煉功してから体に起きた変化を例として政府の作ったデマを明かにして、そして大法の中の理を話してあげました。あの人は最後「君の性格は良いですね。僕は一人の息子がいます。もし、君みたいな娘がいればよかったのに。」と言いました。それを聞いた私は思わずに「もし私はおじさんの娘だったら、おじさんは私が法輪功を教える一番目の人です。」と答えました。彼は少しぽかんとしたが、でもすぐ大笑いし始めました。他の人も一緒に笑ってきました。
 そのことから、私は自分が二つのところで以前よりよくなったと感じました。一つは彼が私を無視したとき私は彼を見捨ててあきらめなかったことと、もう一つは、私は確かに善の心で彼たちに話をしたことです。常人の言い方で言えば、あの人の言ったように「性格がいい」ということです。私は、先生は≪清醒≫という経文の中に「仕事の中の言い方、善心、そして理屈を加えれば人の心を変えられます。」とおっしゃったことを思い出しました。その中から、私は私たちがどのように中国政府のデマを暴くか、いろいろな質問に対してどのように答えればいいのかというやり方を知っているだけは足らないと分かりました。最も大切なのは、私たちが自らの言行で真善忍を実行し、人々に真相を伝えると同時に真善忍を伝えるべきだということです。
 中国人の観光客の反応はざまざまです。ある人は口汚く罵倒します。ある人は真相資料を受け取らず、≪転法輪≫だけほしいと言います。ある人は私たちを冷たく無視します。また、ある人は国内の家族にも見せたいから、資料をもっとほしいと言います。しかし、彼たちがどのような反応があっても、私の心はもう揺れることがないだろう。先生は「人間は意味もなくこの世に来たのではありません。」(≪ワシントンDC国際法会での説法))とおっしゃいました。私は、一人一人の中国人の分かっている一面はきっと法を得るように強く望んでいると思います。彼たちの中にはかつて極めて高レベルにある異なった世界の王で、かつて皆すばらしくて非常に善の生命だった人がいます。しかし、今彼たちは悪に汚されて、自分たちがかつて持った慈悲と聖潔を忘れました。だから、私たちは私たちの純善と慈悲を用いることこそ、彼たちの心の奥に埃で覆われた善良の本性を呼び醒ますことができるのです。
(2001年12月ドイツアルバハ市での交流会での発言原稿です。)