日本明慧

如何に正法弟子の圓満の基準に達するかについての悟り

2002年2月2日 文/カナダ弟子
【明慧ネット】師父は、現在においてあなた達の圓満成就が一番であるとおっしゃいました。師父の広大な慈悲が深く感じられました。弟子が修煉できるように、師父は宇宙大法を私達に伝えて下さり、私達の歴史上におけるすべてを受け取って下さいました。将来、新宇宙において、私たちの威徳を樹立するために、正念を発することを私達に教えてくださいました。私達の圓満成就と先天の最高位置に向かって昇華できるように、真相を語り、世の人々を救い済度するチャンスを私達に与えてくださいました。
師父のご慈悲、済度を裏切らないように、どのようにすれば一日も早く正法弟子の圓満成就の基準に達せられるのかに対して、「米国フロリダ州での説法」で、はっきり教えてくださいました:心を静かにして法を学ぶこと、きちんと正念を発すること、真相を伝えることです。私の理解では、如何に最終段階まで正しく歩いていき、一日も早く正法弟子の本当の圓満成就の基準に達するかという方法を私達に教えてくださいました。すべてはその中にあります。
法を学ぶ重要性について、師父は何度も強調しておられます。ですから、大法弟子は法を学ぶことを常に一番に置くべきです。これは修煉者かどうかを区別するポイントです。
修煉者として、法を学ぶことは圓満成就の基本、前提、ポイント、保障であるということを十分認識すべきです。法を学ぶ過程は法に同化する過程であり、多く学べば、多く同化できます。師父が私達に多いに法を学ぶことを要求するのは「持っていくのは一部ではなくて、圓満成就です。」ということです。
本来、師父は全ての生命を良い方法で解決し、全てを圓満成就させることができます。しかし、「学習者自身の業、法に対する認識の不足、難に遭った時に捨て切れない執着があること、辛い関を乗り越えることにおいて、正しく正念をもって対処できないなどのことは、邪悪の迫害を重くさせる原因であり、邪悪が本当に法を破壊する根本的な言い訳でもあります」。「でなければ、法がこの世を正す時は静かであり、今回の邪悪がなければ、皆法を学んでおり、人類の道徳が元に向かって回復しており、法を正す勢いがやってきても静かなのです。」
しかし、邪悪な魔難が起きました。それにしても、師父はやはりご慈悲です。「逆にそれらの生命が自分の心性を表し、彼らを位置付けます。また、これを利用し、弟子の圓満成就を試しています」。「もし学習者がそれを受けてしまえば、乗り越えられなくなるのです。ですから、学習者に人間がしでかした邪悪を受けさせ、本質的なものを私は受け持ったのです。」
どんなにご慈悲で、なんと偉大な師父なのでしょう!こうした場合、やはり如何にこれを利用し、弟子に圓満成就をさせるかということを考えていらっしゃいます。同時に師父はこの迫害を認めていません。「宇宙の法と大法弟子はこの邪悪に迫害されてよいものでしょうか」
師父は「忍の限界」という法を教えてくださいました。そして正念を発することを教えてくださいました。法を正す口訣と邪悪を根絶する手印は皆出来ますが、本当に法を正し、邪悪を根絶できる作用が働けるかどうかは、学習者の心性と重視度合いによって違ってきます。師父は「全ての学習者は必ず自分の責任をはっきりと認識し、正念を発する時に本当に心を静かにして、本当に正念の作用を働かせなければなりません。ですから、これは極めて肝心なことであり、極めて重要なことです。もし全ての学習者が皆このようにできれば、皆さんに教えますが、同時に正念を発するその5分間で、邪悪は永遠に三界内に存在しなくなります。これほど重要なのです」とおっしゃいました。
しかし、師父が正念を発することを教えてから、相当な時間が経ちましたが、邪悪はまだ根絶していません。迫害はまだ続けられています。これは私達自身に問題があることに間違いありません。
「皆さんに教えますが、現在も残っていて大法と大法弟子を迫害することは、学習者自身に原因があります。正念を発することを重視していない学習者、あなた達自身が受け持つべき、責任を持つべき空間にある邪悪がまだ根絶されていないということが原因です。」
この問題は相当深刻になっています。私達、大法弟子の一人一人は、自分が受け持つべき、責任を持つべき空間があります。その中の邪悪を徹底的に根絶できないと、正法弟子が圓満成就できないだけではなく、師父に法を正された非常に美しい大穹には入ることもできないと私は悟っています。
この法を正す特殊な時期において、衆生を済度する意味合いはより偉大になっています。私達は自分の世界を圓満成就するだけではなく、さらに多くの宇宙体系を救うわけです。これは法を正す時期において、大法弟子の責任でもあります。真相を伝え、一日も早く正法弟子の圓満成就の標準に達して、私達に対する師父の受け持ったものと、期待を裏切らず、師父が法を正すことを手伝う神聖な誓いに背きません。