日本明慧

大法の為に歌い—自分の身につけた知識を利用して大法を証明する

2002年1月8日.文/美国弟子
【明慧ネット】法を得てから現在に至って私はみなさんと同じく修煉の路で多くの困難と曲折に直面し、身体の業力を消す試練に遇い、心性の関門を乗り越えるに当って一つの関門に続けてもう一つの関門が現れ、関門ごとに乗り越えなければなりませんでした。どんな磨難にあっても私は心を静かにして本を読み、法を勉強し、内に向けて探すことによって、法を正す過程について行くことが出来ました。この何年間はこのように歩んで来たのです。

師尊は《ワシントンDC国際交流会での説法》の中でおっしゃいました:“非常に多くの弟子が非常に高い学歴を持っており、海外の弟子にあっては高学歴の人が絶対多数を占めています。なぜでしょうか?この肝要な時期に常人の中で身につけた知識を十分発揮させ、大法が昔世の中の人々のために造成した常人の機能を利用して法を証明させるためです。”法を正す過程は、私に歌声で大法の威徳を現わさせるよう求める時期に来ています。

舞台を離れてからもう十年も過ぎています。ふだん歌の練習をしないし、声帯の回復も同様に、それは一つの遅い過程であるのです。私は各種な観念に困惑され、自分の声帯が早く回復できなかったら、歌を歌う中で声がしわがれたらどうしようと恐れたり、元通りまで歌い出せなかったら同業者たちに笑われるだろうと恐れたり、自分が常人の中で数年間にも及ぶ努力によって打ち立てたマークが壊されることを恐れたり、…いろんな怖がる心、いろんな執着心がみな出てきました。このような心理状態はもうただ一つの歌を歌う簡単な問題ではなく、厳粛な修煉の問題となっています。これは法を正す修煉の路で自分が必ず乗り越えなければならない一つの関門であることに私は意識しました。どうしたら良いのだろう?唯一の方法は心を静かにして法を勉強することです。師父はおっしゃいました:“法は全ての執着、邪悪、虚言を破り,正念を固めることができるからなのです。”(《妨害を排除せよ》)

大法は超常的なものです。私は一人の修煉者として、現在の目覚しい勢いで進められている法を正す過程の中でこういう人の観念に束縛されることが許されるのだろうか?師尊はおっしゃいました:“人類社会の中の名人、学者、各類専門家を人は非常に偉大に思いますが、実はみな非常に小さいのです。何故なら彼らは常人であるからなのです。”大法の弟子として幸運なことに大法弟子の歌曲を歌うのは歴史が自分に与えた使命であり、一つの大法粒子としての法を正す中での居るべき位置でもあるのです。私は、自分のこの人生が歌を歌う路を歩んだ最終的目的は宇宙大法を歌うためであり、これは私の修煉の路であり、法を正す路であるのだ……と悟りました。ここまで考えるとぱっと明るくなりました。

奇跡は現れました。私はただ二日間の間で声帯が回復しました。また直ちに歌の録音を始めました。歌を歌う中で私の思想は一種の境地に入り、まるで歌うという感覚が無くなり、かえって自分の正念、正信を持って天地に向けて大法の偉大さ、師尊の慈悲と弟子の幸運、法を正す路の難しさを打ち明けました。あらゆる歌声が聞こえる生命に向けて訴えました:人身を得るのは難しいのです,佛法を探すのは難しいのです。師尊の恩恵は壮大で且つ雄大であり、機縁を得るのは簡単なものではありません,“決して再び機縁を逃さないように”……どんなに神聖で庄重であり、どんなに殊勝で偉大であるのだろうか?

録音された歌声も私を震撼させました。私は自分の声から一種の金属声、一種の磁声、一種の突きぬく力を聞き取りました。これは私が数年の舞台で決してあったことのない現象なのです。これは法の力であり、師尊の加持であり、佛法の神通が私の身の中での現れだということを私は分かりました。
実は全ては師父がなさるのです。“修は己にありて、功は師にあり。”法を正す時期において正真正銘に法に中に融入し、正信、正悟、正見を堅くさえすれば一切の奇跡はみな現れるのです。そして正真正銘に大法の威力、超常的な状態が身にしみて感じるのです。私達の責任は歌手家、舞踏家、演奏家、など様々な常人の中での“家”を放すこと、またこれらの“家”から引き起こした執着を捨てることなのです。

法を正す過程の飛躍的発展によって大法威徳を表わす歌曲は広く伝われ、作詞作曲する人はますます多くなり、歌曲の類型もますます多くなり、私が歌うのもますます多くなりました。私にとって歌を歌うのは法を正す修煉の過程であり、向上する過程であり、先天最高位置に向けて昇華する過程であるのです。正念を持てば、心は止まった水のように自然に
なり、このような意境はまるで修道人が高山の頂に居て白雲閑鶴の中で心に雑念がなく純粋自在であるのようです。私は自分の歌声中の微粒が小さければ小さいほどエネルギーがもっと大きくて貫きの力も強いことを感じました。このように歌い出した一つの字ごとが、一つの音符ごとが、瞬間的に大法を破壊する邪悪因素を一掃するのです。歌声の中に力量、正気、正念が満ち溢れると遠い遠い所まで浸透して行くのです……

以上は私個人の修煉体験であり、私のこの次元で感じ取ったことです。同修の皆様の慈悲なる指摘をお願い致します。
(2001年佛羅里達交流会で発表)