日本明慧

私は警官に真相を伝え終えた後、後悠然と立ち去った


【明慧ネット】 2001年のある夏の日、私は法輪功の友達の家で煉功を終えて家に帰る時、町の大通りを通って、人通りがないのを見て、大通りの電柱に一枚の「真、善、忍」のビラを貼り付けました。それから他の電柱にも貼り付けようとしているところを1台の公安車にみつかり、乗車していた警官が頭を突き出して私を見ていました。私は自転車に乗って逃げ出したりせず泰然として自転車を押して帰ろうとしました。私はその公安車に追いかけられ、車から数人が降りてきて、「ついて来い。」と言いうと、自転車ごと車に乗せられそうになりました。「私は貴方達の車に乗らないし、あなた方も私の自転車を運ぶべきではない。」と私は言いました。「先ず、捕まえようとする理由を教えてください。私が貼り付けたこの真、善、忍のどの字に欠点がありますか?本当のことを言い、本当のことをやり、真人になることのどこが良くないのですか?善良に生きていることがいけないのですか?矛盾なことなどを前にしてでも、我慢してみることの何が良くないのですか?」

彼らに名前と住所を訊かれましたが、私は確固として「あなた達に教えることは出来ません。只私が法輪功の弟子であるという事実だけで十分でしょう。」と答えました。

「私はすでに60歳も過ぎました。逮捕されることに恐れはありません。現在、私が生きていられるのは法輪功のお陰であって、功の為なら命は惜しくありません。しかし私は法輪功の弟子であって、あなた方が私を逮捕することは、法輪功を迫害することになり、道義上許されず、悪の報いに遭うのを私は見るに忍びないのです。」

警官らはもはや何も言うことができませんでした。私の自転車を差し押えていた2人以外は去り、残ったその2人に法輪功の真相について話し始めました。

しばらくすると、去っていった公安車はどこかの派出所から2人の警官を乗せて来ると、降ろしてまた去って行きました。1人の警官が電信柱を指して、「あのビラを引き裂いて下さい」と命令しました。

「あなた方は聞いたことがありますか?頭が切れ落ち、血が流れても、真理をなくしてはいけないということを。真、善、忍は天法であって、私は死んでも絶対に引き裂きはしません。人はこの三つの字を見ると良い人間になれるし、私がやったこれらの良いことを神様はみな見守ってくださっています。誰も私を動かすことはできません。」

「それでは我々が引き裂さいてやろう・・」とその中の一人は言い、私は大声で「そんなことしてはなりません。あなた方が引き裂こうとしているのは天理であって道義を破壊することになり、無数の神が見ており、悪の報いに遭い、善悪は必ず報われるのが道義なのですよ!」と言い、何も言えない警官らに、「説明してあげましょう」と一言加えました。するとその中の1人の公安は「やはり、あちらに(恐らく派出所を指す)行って話を伺いましょう。そこには人が多いから」と言いました。私は彼の意味が分かり「佛家は縁を重んじ、このようにあなた達と出会ったのも縁であり、会わないのも縁というものです。行ってあなた達に説明しましょう。」と言いました。

「それではお婆さん、私達に話して下さい」と1人が言いうと、私の自転車かごの中から一枚のビニール袋を取り出すと、道路の脇に敷いて腰を下ろし、彼らもそれぞれ私の両側に座り込みました。ある1人が「お婆さん、最近テレビを見ましたか?」と聞きました。「見ました。あれは全くの出鱈目です。目的は衆生を壊滅することにあります。それで、私達は忍ぶに忍ばず真相を明らかにし、衆生を救うことにしました。あなた達が逮捕した法輪功の弟子達がいったいどういう人達なのかあなた達が一番よく知っていると思うのですが。」彼らはただ笑うだけで黙っていました。

警官らを目覚めさせるため、私は邪悪を暴き出し、真相を説明しました。その時の私には恐怖感は全くなく、彼らの凶悪感も感じていませんでした。随分長い時間が過ぎました。おそらく派出所では長く待っていたようで、50歳位の人が来て、まだ話を続けている私に「お前のたわごとなど私達は聴くものか」と激怒して言いました。私は正当な道理を踏まえて「聴かないあなたこそ悪い警官です。止まって下さい。」と厳しく言いました。彼は一変して満面の笑顔を浮べ、「私はまだあなたのそばにいるよ、あなたはどこに住んでいて誰なのか教えてくれませんか。」と穏やかに尋ねました。私は、「あなたに教えることはできません。」と返事をしました。彼はさらに「こんなに暑い日に、そんな年齢で、何をしに出てくるのですか?」と同情の語気で言いました。

「このようにしてあなた達を救っているのです!出て来なければ、どのようにあなた達と出会い、また、あなた達もどうやって真相を知ることができるのでしょうか?私はもうすでにこの青年らに結構多くの話もしたし、これ以上は話すことはありません。取り上げられたその袋の中には、一冊の師父の経文といくつかの真相の資料が入っています。あなた達は帰って読んでみてください。江沢民の副葬品になってはならないでしょう。それでは、私は行きます。」

私は悠然として自転車に乗って去りました。彼ら5人は後で一言も言えず黙っていました。

これはまさに師父の「それらのいわゆる邪悪が実は何者でもない」と言う話の通りでした。(正念の作用)