日本明慧

夢の中の王可非

文/一夫

【明慧ネット】この物語の作者はいまのところまだ修煉者ではなく、法輪大法も深く理解してい
ない。ただよく知っている王可非が邪悪に妥協せず自分の信仰を続けたために迫害され、死に至った時、正念が激しく揺れ、法輪大法が世の人々にとってきわめて貴重な存在だと認識するようになった。なおいっそう江沢民の陰険さ、理性を失った邪悪な本質を見極めることができた。こ
の物語の文章は最近作者が見た夢である。言葉の叙述は常人の境地の範疇に過ぎない。

美しい夢は往々に感情のよりどころとなる。近頃よく夢で可非が現れる。 

あるとき、紺碧の海で可非と一緒に、ふたつの銃身が付いている帆船を操縦し、荒れ狂う嵐に向
かい粘り強く、佛の光が昇る方向に走らせた。 

ある時、古い宮殿の中で炎の跳ねる壁炉の傍で暖を取り、ひらひらと空から舞い降りる雪のよう
な花びらを眺めながら、可非から天国の物語を聞いた。

またある時は、紫がかった濃赤色の幕の舞台の上で、黄色の長い絹織物の中国服を着た可非が、月の光ような光の差す灯の下で、よく知っている笛の独奏曲《シャコが飛ぶ》を吹いていた。美しいリズムを備えた古筝(木製の弦楽器)が低く沈み、流暢なメロディーが空中にこだました。
突然、可非は快く響く古い曲の音に合わせながら空を飛び始めた。長い中国服がしなやかに舞い、飛天仙女のように軽く、輝いている星と星の間を飛んで行き、飛べば飛ぶほどますます遠ざかり、一輪の丸い月に向かって真っ直ぐに飛んでいる・・・・・・ 

昨夜また一つの夢を見た。夢で境地は高まり、醒めた後忘れないよう急いで記録した。記録した
内容は次のとおりである: 

今回初めて李先生と会った。蓮花座の上に袈裟をかけた先生が厳粛に座られ、慈悲深いお顔付きで座禅しておられ、その様子はとても佛家の主のようだった。わたしが先生に可非との遭遇を言うと、先生は「私はこの弟子を済度しているのです」とおしゃった。その後「あなたはだれです
か」とわたしに聞いたので「わたしは可非の親戚です。常人です。」と答えた。先生は「あなたの親戚(可非)は法理の先駆者です。法理の真諦を探求し、正法のため肉身を失った。彼女は死んでも精神は永久に生き残り、魂はすでに天国に帰りました。」とおっしゃった。

「可非に一回会っても良いですか」とお願いすると、先生は「必要ありません。あなたの身辺に敬虔で誠実な修煉者がもう一人いますが、彼女は真修弟子です。彼女は法理で自分の生命を切り
開き、自分の生命を延長しています。彼女があなたに力を与え、あなたの常人社会での悪い心を直させ、色とりどりで奇妙な、邪悪なこの世の生命とは遠く離れるようにさせます。彼女の生命
力は非常に強く、世間に長く留まっています。彼女は神聖なる使命を背負っているので・・・」先生はここまで話されると、慈しみと微笑みで雲と一緒に遠ざかって行かれた。

これはただのはかない夢と言えるが、私にとっては醒めることなく永遠に続いてほしかった。

風は止み、雲は知っている:人々は目覚め、心では分かっている。常人としての苦痛を前にして 、一度きりのその苦痛だが快い燃焼を期待しながら・・・

2002年1月28日朝