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刑期満了で釈放された人「私を良い人に変えた法輪功学習者を監視し、管理するよう言われた」

2002年2月4日 文/沙洋労働教養所の、刑期満了で釈放された人の口述から

【明慧网】私は沙洋労働教養所の刑期満了で釈放された普通の刑事犯人でした。窃盗の罪を償うため労働教養の判決を下されたのです。労働教養所での日々を通じて、私は人が生きている意義を本当に理解できるようになり、如何に良い人になるのかがわかりました。しかし、私に人生の真諦を本当に理解させた人は、警察が私に24時間中厳しく監視、管理させた法輪功学員でした。牢屋を出てからの日々というもの、私は彼らに対する感激を忘れず、彼らの平安を祈っています。もっと多くの人々に真象を知らせるために、私は自分の見たこと、聞いたことを述べなければなりません。私が自分の真の名前を隠すのを許してください。しかし、私は自分の呼び醒まされた良知で保証します:自分が述べた全ては真実なことです。

沙洋労働教養所の三大隊で、私と他の刑事犯達が24時間中、法輪功学員を監視、管理するよう指定されました。三人グループで一人を監視、管理し、三つの番を回します。彼ら(法輪功学員)が食事、睡眠、労働にかかわらず、トイレに行く時さえ、私達が必ずフォーローします。彼らは警察の他、誰にも会うことは出来ません。話すことも、本を読むことも、ペンと紙を持つことなども、一切許されません。家族に手紙を書くときも、警察の合意、監視の下で書き、彼らが出会う時、お互いに微笑むことさえ、強く禁止されています。更に可笑しいのは法輪功学員が来てからというもの、警察が全ての刑事犯のミニラジオを押収しました。外からの消息を封鎖するためだそうです。上述したすべての“不許可”に違反すると、警察による酷刑の体罰が下されます。私は二名の法輪功学員が挨拶をしたことを、監視管理の刑事犯がすぐ警察に報告し、その夜二人が外に出され、殴られ、そして電気警棒で打たれたのを見たことがあります。私は消息を通報するそれらの刑事犯をとても残念に思います。警察は監視管理する刑事犯が“貢献”をすれば減刑すると承諾しました。法輪功学員が“不許可”に違反したことを発見して報告しない刑事犯は処罰されます。

ここでの生活はとても苦しいものです。私達が毎日食べるご飯はいつも黄色いさびがつきます。時々、鼠の糞もついています。毎日、労働してから、刑事犯はもう休むことができますが、法輪功学員は“軍訓”をするよう強制されます。真夏の時候に、熱くて警察も忍耐できないのに、法輪功学員に厚い綿の布で作った犯人服を着させ、直射日光のもと二時間立たせ、半日しゃがませたままにします。白い塩の粉が厚い犯人服に溢れました。その中に、60歳の老人も含まれています。体力のない人は倒れ、服しない人は体罰され、睡眠時間を奪われ、電気警棒で打たれます。

警察たちはいつも私達に教育を受けにここに来たのだ言いますが、何を教育するのでしょうか?私に監視管理された法輪功学員が私に残した印象は、簡単に言えば:礼儀正しく、悪口はいわず、真面目に働き、食事のとき争うこともなく、どんなところでも他人と仲良くし、どんなところでも理に合ったことを言うということです。私は窃盗したために刑務所に入ったのですが、かれらは?良い人になるため、それとも良い人になることを広めるために入ってきたのか、私には分かりません。

ある日のことでした。幹部は私達に:あなたがたは今日は労働する必要がありませんと通知し、多くの法輪功学員にとっていつも“禁地”と見なされていた活動室に招待しました。それは、湖北テレビ放送局による、“教育”を受けている法輪功学員の番組を作るためです。そこでは、幹部が色々な様子を作り、レンズの下で全員テレビを見、ピンポンをやり、将棋をやり、警察が“にこにこ笑いながら”彼らに伴って、散歩している様子です。残念ながら、テレビ局の人がすぐ離れて、この幸せそうなシーンは瞬間に消えました。私達は早々と畑に追われました。

私はずっと彼らが“真、善、忍”を信仰することによる、屈服しない精神に感動させられてきました。実に、彼らは“法輪功をやめます”と話せば、あるいは“懺悔書”を書けば、減刑され釈放され、苦しめられる事を避けることができます。しかし、彼らは“生きている限り、修煉を止めません”と言いました。