日本明慧

平さんの物語

2002年2月13日 文/中国大陸の大法弟子
【明慧ネット】先生は「大法の弟子は偉大なのです。なぜなら、皆さんが修めているのは宇宙の根本大法で、皆さんは正念を以って大法を証明し、巨大な難にあっても圧倒されることがないからです。」(≪弟子の偉大))とおっしゃいました。
そのおかげで、私はある正念の力に励まされて、一人の同修の正法の中での修煉物語を書き出すことにしました。
一週間前、一人の同修が平さんを私のところに連れてきました。今回平さんと会うことは二回目になります。結構がっちりとした彼女を見て、私は、50歳の人がこんなに元気なんて信じられないと思いました。また、彼女の法に対する認識がさらに向上したことから、本当に「士と三日間離れただけで、士を新しい目で見なければならない」と味わうことができました。
去年五月中旬、ある偶然の機会で、私はある一人の同修の家で、平さんが洗脳学習グラスからかけてきた電話に応じました。電話の中、平さんは彼女が五十日間も洗脳学習グラスに拘禁されていて、そこから出たくて、何回も脱出を試みたが、全部失敗したと話してくれました。それを聞いた私は「平さんは邪悪に配合しなくて、『転化書』にもサインしなかったから、本当に偉いです。」と彼女を励ました。しかし、彼女は「いや、私は全然偉くないです。」と言いました。「でも、先生すら「大法弟子は偉大です。」とおっしゃいましたよ。」と私が答えました。先生は新しい経文の≪弟子の偉大さ≫の中で「偉大」という単語を八回も使われて、大法弟子が行った全ての事を認めていられました。それで、平さんはその経文を彼女に読んでほしいと言いました。私は暗記したこの経文を思い出しながら電話の中で彼女に読んであげると、彼女は電話の向こうで聞きながらずっと泣いていました。最後、平さんは「お姉さん、私は全く先生がおっしゃったように偉大ではありませんが、でも私は絶対に邪悪に配合しません。でも、どうやったらここから出られるのですか。」と言いました。「あなたに出たいという気持ちがあれば、きっとその方法を見つけられると思います。」と私が伝えました。結果として、先生の≪弟子の偉大さ≫という経文に励まされた平さんは三日後本当に洗脳学習グラスから出られました。その何日か後、同修を通して、私たちは初めて会うことができました。しかし、それから、平さんと全く連絡が取れなくなりました。また、後で、同修から、彼女が辺鄙な山地地方へ洪法をし、真相を伝えに行って、そのために、お金が全くなかった平さんが大変苦労をしていたが、でもますます修煉に対する意志が固くなったと聞きました。それで、私はその同修に他の同修から受けた五百元を平さんに渡してくれるようにお願いをしました。その後、またその同修から平さんが帰ってきてみんなと交流したいという話を聞きました。こうして、私たちはまた、会うことができました。
私たちは何日間も一緒に過ごしました。彼女はあらかた自分のことを話してくれました。「私のことを知っている人が多いから、もうこの町に住めなくなったので、同修の紹介で私はもう一つの町に行きました。その同修は私のために、お金を出して部屋を借りてくれました。しかし、私は同修のお金を使ってしまって悪いと思い、その町を離れることにしました。目的もなくてずっと歩いていたので、すぐ疲れてきておなかもすきました。どこで夜を過ごそうかなぁと思って、ポケットの中のお金を出してみたら、三元しかなかったのです。私は二元を出して近くにある宿まで送ってもらうように車を呼ぼうとしましたが、皆に断れました。空がだんだん暗くなってきて、私がどうしようと考えている時、一人のタクシーの運転手さんが私と同時に道のむこう側に一人の白い服を着ている若い男の人が私たちの方に手を振っているのを見ました。私たち二人は、また同時に彼の方へ走って行ってみると、その姿が全くなかったです。結局、その運転手が「今日は、なんか不思議ですね。もしかしたら、神様に出会ったかなぁ…。じゃ、二元でもいいから、今日はやっぱりお客さんを送ります。乗ってください。」と言いました。しかし、私は先生が私に助けてくれたとわかっています。
「車から降りて、空はもう真っ暗になりました。パケットの中にもわずかの一元しか入っていなかったです。その一元で何かをしようと思っても、何もできないです。とりあえず、前に向かって歩きました。すると、道端に一つの家が現れました。私はその家のおばあさんに近くに安い宿があるかどうかを聞きました。彼女はあると言いました。でも、そこから離れようと思った時、その家の息子さんが「お母さん、あの人はなんかかわいそうに見えるけど、きっと一日ご飯を食べていなかったから、家でご飯を食べさせてよ。」とおばあさんに話しているのが耳に入ってきました。それで、おばあさんが私をとめて食事に誘ってくれました。ものすごくおなかがすいていたから、私はご飯を三杯食べて、スープとお湯をたっぷり飲みました。私は彼たちの家に一晩泊めさせてもらいました。その機会に、私は彼たちに洪法をして、迫害真相を話しました。その次の日、私はまた新しいたびを始めました。」
「私は大法が私に与えてくれた画を描く技能を使って、山地の人々に真相を伝えました。私は画を描くのにお金を受け取らない事にしました。画を描いてお金をもらわないという人がいることを、人々は理解できなかったようです。毎回空腹で相手の画を描いている時に、私がまず考えたのは目の前にいる人は私が済度したい人で、食べるために画を描くじゃないということでした。私のその思いが純粋だったから、人々は私のことを素直に受け入れてくれました。」
「ある日、私はまた空が暗くなるまで歩いていました。ある一つの村について、そこに学校が一つあるのに気づきました。私はその学校の校長先生に教室に貼り付けるスローガンを書くのを任せてくださいと言いました。嬉しかった校長先生に私は自分が大法を修めているわけで離散して落ち着くところがないという境地まで迫られたと話しました。この校長先生は「大丈夫です。私の事務室に泊まってください。」と言って、鍵をくれてから村に戻りました。このように、次の日から私は村へ洪法しに行きました。そこの村の人々は皆神様のことを信じていて、山へ仏を拝みに行き、敬虔に線香をたいてぬかずくのです。私は画を描きながら彼たちに「皆さんが拝んでいるのは本当の仏じゃないです。皆偽もので、狐、イタチ、幽霊、蛇などの憑き物です。皆さんのなかに、それを拝んで病気などが治った人がいますか。」と言いました。「いないね。」と村の人が。それで、私は「皆さんを本当に救うことができる人は私の先生しかいないのです。」と言いました。「法輪功ってなんですか。何かを読んでくれますか。」と皆が興味深々でした。私は暗記した「論語」を読んであげました。読み終わって、「良いですね。本当に良いです。」と村の皆が言いました。そして、彼たちは皆私が自分たちの家に泊まるように熱心に誘ってくれました。私がその村にいた何日間の間に、法を得る人は毎日いました。皆は善良な人々でした。しかし、一人の邪悪な女の子がいました。何かの会議から帰ってきた彼女は、上は法輪功をやっている人を自分の家に泊めさせることを許さないと言って、私を追い払うように村民にさせました。村長や村民は「私たちは絶対にあなたのことを報告しないけれど、でも他の誰かが電話で報告するかもしれないです。もし、上があなたのことを知れば、おそらく捕まえに来ると思います。」と言いました。私は自分がもう皆に真相を伝えたし、村民を巻き込めたくないから、やはりこの村を後にした方がいいと思いました。しかし、村民たちは行かないでと言いました。それでも、私はこの村を離れることにしました。でも、どこへ行くのがわからなかったです。村を出ようとしたところ、突然ある女の子が来て「字をかいでほしいです。東南西北の南を書いてください。」と話しました。これは正に先生からの教化でした。街角を曲がったところ、村の法へ向かっている一台のパトカーがすぐ通りかかったのです。先生がもう一回私を助けてくださったのです。
「そして、もう一つの村を出ようとした時のことです。一人の男の村民がパイクを乗って後ろから追いかけてきました。彼は私を見送りたいから、バイクに乗ってといいました。自分が村の治安主任だと言った彼の話しによると、彼は上に法輪功をやっている人はそこに来たかどうかを聞かれたとき、「そういう人が見かけたことがない」と話しました。しかも、彼は法輪功を修煉している人がどの村にいるかも教えてくれました。彼の情報で、私は同修たちを尋ねてみんなと会うことができました。山地にいる同修たちは早くて簡単に先生の新しい経文を手に入ることができないから、今どうなっているかと全く分かっていなかったです。私は新しい経文を同修たちに渡して、今の法を正す進展を伝えました。同修たちもすぐ正法の流れの中に入り込みました。」
平さんは多くの苦しみを堪えました。ある時は、子供でも彼女のことを物乞いだと思って、彼女を殴ったり、罵ったりしました。彼女は、これは歪んできた人間の考え方によっておきたことだから、全くこだわらなくて、心性を守ろうとしました。平さんが着ていた服は皆善良な農民たちがくれたものでした。それでも、ズボンにいくつかの穴が開いていて、洗い替えようの下着もなかったです。また、一日饅頭を一つも食べられない時がありました。それに、山道を通る時、悪い人に、しかも、男女区別せずの宿で強盗に遭ったこともありました。でも、彼女は正念で悪い人を抑えて、そして、彼たちにいい人になるために大法を伝えました。
平さんは同修の前で自分の話しをあまりしないです。ただ、私と彼女が二人しかいないときに、彼女が話してくれるのです。でも、全部を話してくれたわけではないです。私の家に平さんと会いにきた他の同修は皆「平さんは本当に苦労を受けたね。」と言いました。しかし、「私は自分が苦しかったとかを感じたことが全然なかったです。本当です。ある村にいたとき、一人の村民が「もし、あなたが外に行かなければ、権力者はあなたを捕まえなかっただろう。何のためですか。今、あなたが自分の家に帰られないという境地まで陥って」と言いました。「私は以前血ばかりを吐きました。私の病気を治せる病院はどこにもなかったです。でも、大法は私を救ってくれました。李先生が私に第二次の命を与えました。普通は、病院がもし患者さんの病気を治せたら、患者さんが感謝の気持ちで金の扁額をその病院に贈るのです。恩を返すからです。しかし、私の先生はわたしから何にもとらないです。だからこそ、私は本当のことを言うべきです。権力者だけ私に真実を言わせてくれないです。彼たちはあらゆるところから私を探し出して捕まえろうとしています。そのために、私が家に帰られないのです。これって私のせいというのですか。」とその村民に話しました。彼も納得できたのです。」と平さんが言いました。
彼女の話しをここまで聞いてきて、私が涙を流し始めました。そして、同修たちも、平さんすら泣き始めました。これは常人の情ではなくて、大法同修の間のあの穏やかで親密の友愛からです。私は「これから、あなたに絶対にこんな酷いことに遭わせません。私たちは「師を助け世間行う」という宇宙中の一番正しいことをしているから、こんなに大きな魔難はきっと旧勢力の安排です。それを認めてはいけないです。」と言いました。それで、私たちは平さんにお金を出したり、服を送ったりして、彼女の格好を変えました。これは、大法弟子の中にしかないことです。こここそ、人間の淨土です。五日後、私たちは別れを告げて、大法弟子のなすべきであることの正法、洪法の流れに入っていきました。