日本明慧

一念で先生について帰る

2002年3月3日
【明慧ネット】子供時の私は災難が多く、病気も多かった。何歳かのときの百会穴と会陰穴の痛みを今まだはっきり覚えている。毎回の流感に私はいつも敏感であった。子供時代の考えは純真であった。あの頃、自分の言った言葉を記録する人がいるかな、善と悪は全部記録されるかな、と私はいつも考えていた。あの時、切実に「報い」を体験できた。一旦、私が自慢したり、悪いことをしたりすると、すぐ両親に殴られたか或いは先生に叱られた。
 大学に入り、家の生活状況が富裕ではないため、他の同級生は踊りに行ったが、私は一人で山へ行って谷川の音を聞きに行くことを好んでいた。学校が始まったばかりの頃、気功のことを聞き学び始めたが、強烈に感じた。先生が言われたように、「ある夜寝ていると、突然布団を掛けられないほど熱くてたまらなくなり・・・」。一度、一人で夜に山麓へ座禅に行ったが、黄金色の光の輪が指から昇ることを見た。当時、本当に正法を伝える人はいなく、また心性を修することも知らなかったために、人に会う度にこの出来事を言った。しかも、学校の気功学会の会長になった。人に気功を教え、お金を取ることをしたため、天目が閉じてしまった。当時の気功はほとんど病気治療と健康保持のためであるので、自分も気功がそのためのものであると思っていた。しかし、一度一冊の本を買い、はじめて“修煉”という概念もあることが分かったが、それほど気にしなく、後ほどその本もなくなった。今考えてみれば、多分あの法門に入ってはいけなかったのかもしれない。
 気功が私の問題を解決していないが、私はそれで更に佛と道にあこがれるようになった。あの時、私は人生に対して美しい熱望と願望を持っており放棄できなかったが、佛法を得ることが人間として最終の目的であると思っていた。それゆえ、ある日私は空に満ちた白雲に向かって、私は妻と子供を持った後、仏門に入る、と誓った。今思えば、この誓いはとてもだらだらとして締まりがなく、とても執着であった。この一念のせいかもしれないが、慈悲なる先生はかまってくれ、私は本当に結婚して、また妻が妊娠した後、大法に出会った。
 妻のおばさんは法輪功を学んでいる。妻の父に講法のテープを贈り聞かせた。私は妻の父の家へ行ってちょうどそれを見た。聞いたらすぐ頭に入っていった。先生が私を他の空間に連れていってくれて説法を聞きに行ったように、とても博大で奥深く、私の以前の経歴を先生が全部言及した。これは真法であると分かった。家に帰って何日か経って、公園へ散歩に行ったら、法輪大法の煉功点を見つけた。そこの学習者によると、その日にその公園での煉功点を成立したばかりであった。
 多くの修煉者が私と同じように法を得た経歴があると思う。この一念によって、我々は家へ帰る機縁ができた。