日本明慧

高梁を揚げることと「出きるだけ多く植える」という慈悲な点化

2002年3月1日 文/大陸大法弟子 心雨
[明慧ネット]私が学法に精進しないとか法を正す進展に追いつかなかった時、慈悲な師父はいつも点化してくれます。次は師父が私を点化してくれた二つの例です。それらを書き出して、共勉しましょう。
一回、夢の中で、師父が広いところで収穫してきた高梁の米粒を空中に投げ上げて風で殻皮を取り去ると言う作業をしていました。そこには、赤くて丸い高梁の粒が沢山あって;横にもう加工してある高梁の米袋があって、袋には米がいっぱい入っており、前には箒が一山ありました。私は師父の前に行くと、師父は箒一つと米一袋をくれました。どうして米をくれるかと師父に聞いたら、「君の家には食べ物がないじゃないか」と師父は言われました。「どうして分かりますか。」と聞くと、師父は笑うだけで答えられず、高梁の粒をきれいにする作業を続けておられました。しかし、私はその光景を見ていて、高梁はもうきれいになったのに、どうして先生がここでずっとやっておられるのかと不思議に思いました。
その時、馬車一両が来ました。その馬車には夫婦二人が乗っていて(私が法を得たのはその夫婦のお陰です)、私に「米袋を車に乗せてください。」と言いました。私は米袋を車に置き、片手で箒を持って車の後ろについて歩き出しました。しかし、その時、米袋の口が開いてしまって、米粒がその中からこぼれてきて道にいっぱい散ったのです。馬車にいる夫婦はそれを見て、「あなたはどうして米袋の口を縛らなかったですか。」と聞きました。「私は馬車にちょっと追いつけないですので。」と私は言いましたが、「もっと早く走れば追いつくでしょう。」と言われました。そこで私は目が醒めました。夢の中に、先生が一生懸命にあの一山の高梁をきれいにされているということは、弟子の修煉は必ず着実で,少しのあいまい(雑質、漏れ)があっても行けないということで、また淘汰するのは真修しない者だと意味して、また、弟子に米の袋をくれたことは一日も早く正法の進展を追いつかなければならないということを指していると私は悟りました。当時、私は、長い間、明慧ネットの文章も見てないし、真相の資料も配っていませんでした、私は資料を送ってくれる同修との連絡が取れなくなって、しかも彼女はいま邪悪に迫害されて離散しています。私は4・25以降に法を得たので、知り合いの同修は少ないです。しかしながら、私が焦っている時、師父は同修(中年夫婦)を示し指して私に電話をしてくれました。そこに真相資料と明慧ネットの文章があることを聞いて非常にうれしくおもい、この事から、正に師父が一人の弟子でも落としたくないということがわかりました。私は師父の慈悲苦度をいっそう理解し、正法の進展に合わせ、史前の誓約を果たします。箒は師父がくれた「法宝」です。この「法宝」を用いて、正念で大法を迫害する邪悪な生命を取り除き、師を助けて世間を歩き、衆生を救度するのです。宇宙のゴミ、あか—邪悪な旧勢力を取り除き尽くします。
もう一つの夢の中で、師父は多辺形の垣根の菜園で葱、大蒜など野菜を植えておられました。庭は、非常にきれいで、雑草一本すらなく全部ねぎとにんにくでした。葱と大蒜が隙間なくびっしりと植えており、しかも曲がらないでまっすぐでしたが、師父はずっと植えておられました。私はドアを開けて師父に「葱と大蒜は植える場所がないのに、どうしてずっと植えておられるのですか?」と聞きました。師父は「出きるだけ多く植えようと思ってね。」(大体の意味)と言いました。菜園から出ると、師父は三人の弟子を連れて座禅をされました。私も一緒に座禅をしました。でも、その時、私は夢から目が醒めました。私は近ごろ静功の煉功と真相を伝える事を緩めて、同修との交流もしていないという自分の近況を思い出しました。ある同修の家族は魔性が大きいから、彼女と暫く連絡を取っていないので、彼女に会いに行くべきだと考えました。翌日、あの同修の家に行って、自分の夢の中で先生が点化してくれたことを彼女に伝えました。彼女は私の話しを聞いて突然何かを思い出したように、「私は最近商売が忙しくて煉功をあまりせず、法も学ばず、何もしていない。」と言いました。彼女と交流する内に、師父の慈悲と弟子たちを待つことと、さらに、私たちに加護してくれることに対して、私たち二人はますます恥ずかしいと感じてきました。だから、私たちは精進のペースを遅らすのではなく、今度の法を正す修煉の中で「無私無我」の正覚を修煉し、千万年の間、待ち続けたことを一朝に無駄にしないと決心しました。「出きるだけ多く植える」ということは法を正す内に邪悪を暴いて、真相を伝えて、救度されるのができる命を収集することです!全ての不正を正し、宇宙大法が世間に巍然と現れるのに園融しましょう。
不適なところは慈悲に指摘してください。(2001年11月19日)