日本明慧

正念で執着を取除き、危険から安全に脱出

2002年3月11日 文/大陸の大法弟子
【明慧ネット】私の修煉は平凡であり、目立った経歴はありません。だが私は大法を信じ、師父を信じています。自分が出来ることなら、出来るだけやり遂げるように努めています。最近の経験から、私はますます師父と大法を信じるようになりました。
 最近 私が住んでいる地域の邪悪な人たちは気が狂ったように大法弟子を捕まえ、強制的に洗脳をしています。悪人は三回にわたって、私を捕らえようとしたが、私はすべて安全に脱出しました。
 私はある工場に勤めています。悪人たちは第一回目私を捕まえに来た時、ちょうど昼ご飯時でした。私はまだ家に帰っていませんでした。ちょうどその時、同僚の一人が体の調子が悪くなって早めに帰宅しようとしました。彼女は医務室で薬を買って帰る途中で、悪人たちの車が我が家の前に止まっていて、我が家の周りを彼らがうろうろしているのを見ました。彼女は急いで工場に戻って来て、私に家に帰らないようにと告げました。このように、彼女と近所の人の援護のおかげで、私は他の修煉者の家に行って一晩泊まりました。(この同僚は午後工場に戻ったら体の調子が全て良くなって、不快感がすっかり消えてしまっていました)翌日私は親戚の家に移りました。ある日、明慧ネットの資料を読んでいた時、急に“青い山が残されれば、柴がなくなる心配は要らない……”という諺の意味が分かるようになりました。以前この言葉についてあまり理解できていなかったのです。しかし、今回は「私には師父がおられ、大法があり、怖がる物はない。」と心の中は急に明るくなりました。そして次の日に私は自宅に戻りました。
 何日か経ってから、ある日の午前中、工場で仕事している時、急に停電しました。経営者の息子さんは事務室へ、停電の原因を調べに行きました。政府の公用車が近所の道に止まっているのを発見しました。帰りに人が再び私の家の前をうろうろしているのを見て、きっと私を捕まえに来たと気が付き、すぐ私に知らせに来ました。私がまだ立ち去らないうちに、悪人たちはすでに車で工場の入り口まで来ていました。同僚たちは私が発見されないよう、角に座らせました。私は座って正念を発し続けました。一人の悪人が工場の部屋に入って帳簿を調べながら、「ここにいる二人を探したい」と言いました。会計員は彼を阻止できず、彼は別の一人の修煉者の名前を見つけましたが、この何日間この修煉者は工場に来てはいませんでした。その上、名簿に名前はあるが、出勤記録はなかったのです。さらにこの修煉者は家にも居なかったようです。そして私の名前を見つけることは出来なかったのです。工場の人は彼らに、私がここに居ないことを告げました。彼らは信じず、室内に入って探し出そうとしたが、この時、室内の人は一気に立ち上がって出入り口を塞ぎ、荷物を運んだり、貨物を調べたりしてわざと混雑させたのです。出入り口が込み合ったので、彼らは室内に入れず、ただ入り口のところから中を覗きこみました。経営者の息子さんは彼らに「町の南の方にもう一つの工場があるので、向こうへ行って探してみたらどうですか。」と言いました。それで、彼らは車に乗って去りました。彼らが去ったすぐ後に、電気も通りました。工場の秩序もいつも通りに回復しました。私はただ師父に感謝し、私を助けたすべでの人に感謝したい気持ちがいっぱいでした。
 その後、暫く外に泊まった後、家に戻りました。このときは怖い気持ちが出てきました。捕まえられることを恐れて、街に出ることを控えました。ある日、家で姑に明慧ネットの資料を読んであげ(姑も修煉者であり、字を読めない)、また、お互いに師父が説かれた法に対する理解をも話しあいました。話している内に、師父が『転法輪』の第六講で説いているベッドに縛られた人が、自分の精神によって死亡したことが頭の中に浮かび上がってきました。“我々は真の煉功者として、高い次元に立って物事を考えなければならず、常人の考え方で物事を考えてはいけません。……”(『転法輪』) 私はこの何ヶ月以来のことを振り返って見た時、主人が何ヶ月前のある晩に連れ去られ、強制労働させられた後、邪道に入った人に何回も密告されたことも聞いていて、自分もいつか連れ去られるのではないかと、ずっと心配して来ました。毎日不安で、特に夜になると、車の音が聞こえたら(家は道路の近くにある)私はいつも「どんな車?どの方向に向かって走っている?」と外に出て確認しに行きます。私にもしこの恐れる心がなければ、私を怖がらせるものは何もないでしょう。連れ去られることを恐れることは、邪悪のやり方を認めたことになるのではないか。心の一念は常に正でなければいけない。これらの道理が分かってから、私は心が落ち着いてきました。また外に出かけたりするようになりました。
 師父の『米国フロリダ州での説法』を伝え聞いたので、私は自転車で同修の家に取りに行き、帰ろうと思った時、「もう少し座って話しをしよう」とこの修煉者に何度も引き止められました。正午に近くになって、やっと帰り道を辿りました。二日後、近所の人は私に「ちょうどおととい、警察がまたやって来て、玄関に鍵が掛かっていることを見て帰った」と教えてくれました。この話を聞いても、今回もはや心の中に怖さはありませんでした。ただ心の中には師父と大法に対する感激しかなくて、大法に対する信念もますます強くなりました。邪悪な勢力は如何に巧みに按配しても 全て師父の把握の中にあります。自分の念が不純の時に限って、邪悪な按配が実現されるのです。今私は「自分の念が不純の時であっても、邪悪な勢力には私を試す資格もない。私は主佛の弟子で、宇宙の最高の法を修めている者だ」とはっきり認識しできてきました。師父はこのように言われた。「人にこの大法を試す資格がありません。神にもありません。あえて試した人がいたら、それがその人の罪です。」(『北アメリカ五大湖地区交流会における説法』)
 以上 私の次元での少しの体験です。間違ったところを同修の皆さんに慈悲で指摘していただきたい。
 
 次は他の修煉者の体験です:
 この方は男性の修煉者です。邪悪なものが第一回目に私を捕まえに来た時、同時に彼をも捕まえに行きました。邪悪な人は彼の家に着いて、玄関に鍵が掛かっていたので、人はいないようだと思って帰りました。午後になって、彼は近所の人に会った時、昼ごろにどこに行っていたのですかと聞かれ、早く隠れてくださいと言われました。彼はただ笑うだけ、何も言わなかったのです。その後、邪悪な人は二度と彼を邪魔しに行くことはありませんでした。彼は「その日、自分はどこへも行かず、家の中で法を勉強していた。玄関の鍵も掛けてはいなかった。これはすべて大法の威力であり、師父の保護によることでも在る」と私に言いました。
 この修煉者は法を学び、功を煉り、正念を発することを欠かさずに毎日やっていた。大法の活動も積極的に参加していました。彼の周りのエネルギー場は非常に純粋で、邪悪なものがその場に入ることが出来ないと私は思いました。