日本明慧

一人のイタリア作家の大法を修煉する体験


2002年4月1日 文/イタリア ディエ-ゲマンカ

【明慧ネット】私はイタリアから来た修煉者です。私の名前はディエ-ゲマンカです。今年52歳になりました。

約2年前、私は幸運に法輪大法のことを知りました。それ以来、私の生活は大きく変わりました。その時、私は50歳で、人生のとても困難な時期でした。仕事を失って新しい仕事を探している中、家でも妻とお互いに理解が欠けていました。彼女は私の生活の伴ですし、我が娘の良い母ですが、私たちは毎日揉め事があって、とても辛かったのです。

ある日、一人の友人が家に来て私のパソコンでメールを送ろうとしました。彼女は太極拳とヨガの先生で、私に法輪功のことを聴いたことがあるかどうかと尋ねました。私は法輪功についての新聞の記事を読んだことがありますが(それは99年9月のことです)、本当のことはあまり知りないと言いました。そして私はインターネットの上で調べ始めて、たくさんの関連サイドを見つけました。私は興味津津で、『中国法輪功』をダウンロードして読み始めました。その後、私は夢中に修煉者の体験談を読みました。そして、私は法輪功の功法動作の教習、テキスト、録画テープ及び音楽などを手に入れるのに全て無料だということに驚きました。しかし、私は始め信じなくて、逆にこれらのものがすべて金を集める方法だと思いました。百名以上の修煉者の体験を読んでいるうちに、徐々に納得し始め、法輪大法がきっと非常にすばらしいものだと思いました。私にとって興味があるのは超能力や天目、白日飛昇などのことではなくて、“真善忍”の原則を日常生活に取り入れることでした。これによって私はよりよい人になり、私と私の周りの人の生活の質が高められました。

そして私は始めて“真”の原則を試みました。つまり嘘を言わないようにしました。これはとても簡単なことと思いましたが、そんなに簡単ではありませんでした。私は以前から人と自分自身に嘘を言い続けて来ました。その時から徐々に嘘をつくことに気づくことができるようになり、本当のことを言えるように努力し始めました。私は生活の中でこれらの原則に従えば、生命の力がより充実に感じました。以前に“嘘の篭城を造る”ことにかかっていたエネルギーを省いて、これらのエネルギーが解放されたことに爽快感を感じました。

次に“善”の原則について、私の理解は:思いやり、友愛、及び日常生活に接する人々に善意で対応し、家でも、仕事場でも、バスの上でも同じようにすることでした。私は以前自分がいい人だと思っていました。だが今はそう思っていません。今、私は人間として、一つのグループとして、他人に良いことをしてあげるということは結局自分、あるいは自分たちに良いことをしてあげていることになると思っています。この考え方は私心によるものではないと願います。

私はこの生活様式で——嘘をつかない、人に思いやり、他人を寛容する、忍耐する、高尚の行為方式で自分を律することによって自分の生活がますます美しくなり、充実になり、楽しくなったことに気づきました。私の周りのたくさんの人々は法輪功が良いことだと思っています。私は特に説得したり、我々の修煉法が如何に素晴らしいことを宣伝したこともなく、ただ自分の行動でそれらのことを証明しただけです。もちろん、これはとても難しいことです。時々、家で、仕事場で、私の行動はまた本当の修煉者の標準に達していないところがあります、だが私は学び、高まりつつあることは確かです。

私は我々の日常生活の行動がとても重要だと思います。我々の周りの人々は私たちが法輪大法の修煉者であることを知っているから、もし我々の行動は大法修煉者の標準に達してない場合、或は極端に走る場合、大法のイメージが破壊されるかもしれません。

『転法輪』の第八講に“歓喜心”の問題の中で、師父は言われました:「われわれのこの功法の大部分は常人社会の中で修煉するものなので、自分を常人社会から遊離させてはならず、醒めている中で修煉しなければならないのです。人と人との間は元通り正常な関係ですけれども、あなたの心性はいうまでもなくかなり高くなっています。心態も非常に正しく、いっそう自分の心性を高め、自分の次元を高め、悪いことをせず良いことをするように努めるのです。このようになっているだけです。言動や態度からまるで頭がおかしくなったような人もいますが、あたかも浮き世を見限ったかのように、言うことも人に理解されなくなります。「法輪大法を学んでから、この人はどうしてこのように変わったのか? 頭がおかしくなったようだ」と、人から言われます。実はそうではなく、彼が興奮しすぎて、理知を失い、常理に合わなくなったためなのです。皆さん考えてみてください。こういうふうになるのも良くないのです。あなたはまた別の極端に走ったのであり、これも執着心なのです。これも放棄して、みんなと同じように普通に常人の中で暮らし、修煉するべきです。常人の中で、みんながあなたのことを気が転倒したと思い、あなたを相手にせず、あなたから遠く離れてしまい、誰もあなたに心性を高める機会を提供せず、誰もあなたを正常人と見なさないならば、それはいけないことだとはっきり言っておきます! ですから皆さんはぜひともこの問題に注意し、くれぐれも自分をしっかり制御してください」 

『精進要旨二』の“昭示”(2000年7月20日)の中に、師父は言われました:「平和の方式で中国政府に我々の真実の状況を訴えることは、決して間違っていません。だが修煉者として、我々は決してあらゆる過激な行動や言論を取ってはいけません。一年来皆さんは善の心を持って世人、政府に真相の説明及び善意な訴えの中で全て正しくやって来ました。私は大法修煉の中から鍛えられてきた弟子たち(偉大な生命)のために嬉しく思います。私は今後の真相説明及び政府に訴えると同時に法を学ぶ重要性を忘れないように希望しています。彼たちは皆円満成就に向けて歩かなければなりません。私は学習者たちのあらゆる行動及び修煉の状況を注目しています。皆さんが一層精進することを期待しています」

私の仕事の環境は自分の心性を高めるためにとても良いところです。仕事の環境の中で私は如何に良い修煉者になると同時にどうやって仕事を良くやり遂げることをも学びました。私の仕事環境と家庭環境は以前と比べてすっかり変わりました。皆さんは常人の時の私より修煉者の私が好きなようです。修煉の始めごろ、妻はとても嫌でした。現在私の変化を見て、彼女の見方も変わりました。

私はずっと日常生活の中から時間を捻出して煉功してきましたが、これは十分ではないと分かっています。昨年、私は記者、メディア、政治家及び我々に助けてくれる可能性がある人に連絡し、洪法して、より多くの人に真相を知ってもらうように努力しました。週一回、私は学びたい人に煉功の動作を教え、洪法に力を注ぎました。だが先ほど言ったようにこれはまた十分ではありません。私は常に新しい口実を探して自分の行動のために弁解している。例えば私は煉功をしなかった、本を読まなかった、毎日法を勉強しなかった時、私は他の事がもっと重要だったと自分に言い聞かせます。今分かってきましたが、それは自分が自分を騙しているということだ。私はもっと有効に自分の生活を計画し、時間を作って法を学び、心性を高めるべきです。

私は一人の修煉者として自分の周りの全ての問題を師父に按排された試練だと見なしています。これによって心性を高め、より良い人になれます。

大法を修煉する前に、私は20年間以上をかけて真理を探していました。今までずっとリラックス性麻酔薬と東洋と西洋の玄学の中で答えを探していました。いくつかの方法や精神の道を試したことがありました。李先生に言われた修煉が専一でなければならないところを読んでから、私は解放されました。私はたくさんの方法を試したけれど、結局小学校から出られなかったのです。現在、私はやっと大学に入った気がします。

私はタバコと飲酒及び他の麻酔剤を止めました。現在の私は今までない爽やかさが感じられます。

今までの曲がり道と個人の利益を強く求める執着心のせいか、私は違う空間のものが何にも見えない。眼覚めているときも、寝ている時も、私は違う空間の法輪を見たこともない。天目で何にも見えません。自分の目で見たものにもさほど信じなくなりました。私はこれらのことについて全然気にしていません。私はすでに一つの旅に出ました。旅途中で最大な障害となったものは正に自分自身だと気づきました。しかし、絶えず精進し、心性を高めていくうちにあらゆる困難を突破できると思います。

私は大法から得られたことに対してとても感激しています。たとえこれは私が達せられる最高次元であっても(そうでないと思います)、私は何にも人生の遺憾がありません。大法により私はよりよい人間に変わり、正しい道を知り、より意味深い生活環境とより素晴らしい文明の生活方式を得ました。より素晴らしい文明の生活方式とは、もし以前の常人の観念に従って生活すれば、私は常に傷つけられた気がして、落ち込んだり、怒りを感じたりしていました。

私は自分に対して更に精進し、円満まで努力し続けるように願っています。今まで修煉中で遇った問題は全て『転法輪』と他の師父の経文の中から答えを見つけることができました。今後遇う問題も同様に解決できると信じています。

最後に一つのことを言い加えたいです:修煉者として我々は自分の知恵と創造性を利用し、人々に真相を説明し、洪法をすべきである。私は作家として、もし私の作品が人の心を感動させることがあれば、それは読者が私の作品の中から真善忍を見つけたことに違いない。これは法を実証することにも役に立ちます。

私はもっと多くの人が法を得て、返本帰真できることを願っています。

(2002年3月ヨーロッパ法輪大法修煉交流会においての発言稿)