日本明慧

相手が信服できるように大法を証明しよう

2002年4月1日 文/ドイツの大法弟子

【明慧网】相手が信服できるように、大法を証明するということは、全ての生命に大法の偉大さを知らせることを、意味している。我々はどのようにすれば、大法の偉大さを証明できるのか?それは、我々の行為を通じて、全ての生命に我々の正直な心を、時々刻々に感じさせることをとうしてのみなしうる。

これは私が正法期間に悟ったことである。私が大学を卒業する時、“正法はとても重要なので、私は全ての時間を、大法の仕事と弘法活動に使うようにすべきだ”と思ったことがあった。自分の専門にふさわしい仕事はとても時間がかかり、そうすればこのような重要な時期において大法の仕事をする時間がなくなると思ったので、仕事を真面目に探さなかった。最初の何ヶ月は問題がなかったが、その後“仕事をしないのですか?”とか、“いつ仕事をスタートするのですか?”とか、時々このように聞いてくる人がいた。そして、ある人が“常人社会で仕事の義務を負わずに、大法の仕事をしても大したものではない”と言った。その時、私は今自分の行動がはっきりと、他人に納得し理解をしてもらえてはいなかったと感じた。人々が私のことを重視しなければ、きっと彼らは私のやっていることを当然重視することはない。つまり、私が大法に投入した時間と精力は変わらなくても、その効果はあまり期待できないということだ。このことは私にとても大きく考えさせるものがあった。私は“自分がもっとも良い願望を持って、全ての時間を大法の仕事に使っても、自分が常人社会にある義務を果たさなければ、自分の行動は他人をそんなに信服させられないということを、意味している。したがって、人々は大法の偉大さを信じることはない”と悟った。そして、“自分の度の過ぎた行為によって、他人に信服されないなら、それは大法を破壊することになるかもしれない”と思った。したがって、私は自分に対して:この状態を続けて行ってはいけない、私がこのようにして、人に不思議と思われる行為をすれば、人々はどのように大法を見なすようになるかを告げていた。

それで、私は仕事を探し始めた。5週間の後、病院での職を得た。上司と初めて談話した時、私は自然に法輪功を紹介した。彼は真、善、忍がとても良いと言ってくれたから、私はふさわしい職場を今回見つけたと感じた。時間がたつにしたがって、とても良い職場であるとことが分かってきた。この時師父の賢明な按配に感謝した。この仕事は私に新しい転機をもたらした。周りの人々は突然私を重視し始めた。彼らは私が仕事を終えてからでも、全力で大法の事を続けることことが出来るのを見た。親戚と仲の良い友達から、今まで以上の尊敬を得た。毎日、車で会社に行く前に煉功していることを彼らに告げると、彼らは“いったい、法輪功にはどんな力があって、あなたに仕事以外の時間を使って、そんなにも没頭させるのですか?”と問いただした。私が他の人と話し合う時、彼らはまず初めに、私の職業に興味を持つかもしれない。しかし、話をするにつれて、彼らはだんだん大法に興味を持つようになる。職業は一つのキーのように、他人へのドアを開け、大法はどんなものだろうかと、彼らに尋ねさせる。最初に医院で仕事をスタートした時、私は全く大法のことを口にしなかった。私はまず常人の仕事を上手くやる。実際上、効果はとても良かった。同僚達は私が責任を持って仕事をよくやり遂げたのを見て、他の同僚より私と一緒に仕事をすることは、とても楽で、楽しいことだと感じた。しかし、これが真、善、忍が生み出した力だと私は知っている。それで、だんだん同僚達は私をとても重視し、認めるようになって、何で私がこんなに他の人と違っているのかと、知りたがるようになってきた。こうして、医師、医師の助手、看護婦、職員達そして患者達との間に、法輪功を話しやすい土壌が形成されてきた。いま、皆は私を見ている。皆は私が法輪功を修煉してることを知っているからである。しっかり仕事をしている私は今ではすっかり同僚に尊敬されている。これはとても洪法するよいチャンスが、生み出されたということではないのでしょうか?このように、人々が大法を敬うようになれば、私は毎日自分の職場で大法を証明していることになる。

仕事をすれば給料がもらえる。お金があれば再びそれを大法の活動に使える。仕事以外の時間で大法にかかわる活動をやることができる。私は本職の仕事が終わってからでもやれる、大法の仕事を見つけた。以前は職場で仕事をするのに11〜12時間が必要で、大法の仕事をする余裕がそんなにないと思っていた。しかし、実際にはそうではない。事実上、私は今、もっと効率よく余分の時間を利用して大法の仕事をしている。私は大法の活動に多くわ参加できないが、今やっている仕事は、正法に対して同じく重要だと思う。さらに、元の予想と逆に、私の職業は全く大法の仕事に影響を及ぼすことなく、私ただ仕事以外の自分の時間を調整するだけでよかった。
私たちが行っていることが、正法の作用を発揮できるか否かは、大変重要だと思っている。したがって、我々は国々の状況によって行動すべきである。我々はもし訳もなく仕事を軽視すれば、自分の仕事を重視する人々に大法を理解してもらえないだろう。師父の教えのように:我々は(修煉と大法の仕事を除く)常人社会おいての仕事を良くすべきである。遅ればせながら、私は今ようやくにして、この法の意味を理解した。

それでは、人々に大法と修煉者を信服してもらうということは、何を意味しているのであろうか?これは、大法を信じる価値があると、人びとが思ってくれるようになることを意味する。だから、我々は大法を証明し、正法をあらわす必要がある。つまり、人々が大法と私たちを信服するように、私たちが大法を証明し、邪悪を取り除き、嘘を暴く過程の中で、大法の威徳が現れてくるのだ。私個人の理解としては、もし、法が信じられるということを我々の善心で証明すれば、縁がある人はすぐ我々の紹介を尋ね聞いてきて、彼らは短い時間のうちに、大法をすぐに理解できるようになると私は考えている。残念ながら、私は長春の素晴らしい学員のように、そんなに大きい範囲にわたる正法はできない。彼らはテレビ放送局を通じて、真象を何百万人もの中国人に伝えた。しかし、私は自分の周りの人たちに、大法への信望を証明することができ、私は今とてもこのようにしていきたいのである。

全ての同修が正法の中で、その潜在の能力と強大な力を充分に利用することができるようにと願う。