日本明慧

執着を根絶する


2002年4月18日 文/大陸大法弟子

【明慧ネット】私は大法の修煉を始めて既に3年になりました。最初のころ、きわめて良く行っており、さまざまな執着心をもよくなくしたと感じていました。ところが、7・20以後、アメリカから帰国した私は、心性において向上が遅くなったと気づき始めました。たまたま一定の期間中において、本来の修煉によって取り除かれていた執着心は、前より倍になって戻ってきました。この様な状況が繰り返され、修煉はそのままでまったく進まないかのように感じていました。これによって私は、悲しくて痛ましい、一種の望みのない情緒に陥り、今生に何の光も見えないような気がしました。

少し前のある日、師父の最新経文《北美巡回講法》を読み、深くそれに震撼させられました。よって私の修煉を拒んでくる勢力は、どれだけ強いものにしても、自分の生命のすべてを傾けて、それを根絶しなければならないという決心をしました。今朝、私は夢を見ていました。夢の中で自分の左手の親指に、ひとつの穴があいているのに気がつき、穴の中から肉芽が外にはみ出ているのが見つかり、最初はそれがひとつのにきびの類かなと思い、そこでそれをつかんで抜きました。抜けば抜くほど抜き出した分が長くなり、数寸ほどの長さまで抜き出した時に、私は少しの恐怖感を覚え始めた上に、心中が悪くなり、しかもそれは、心と繋がっているかのような気がし、心まで緊張を覚えてどきどきしていました。それでも歯を食いしばって思い切って抜くと、指には激痛を感じ、結局その物の根まで抜き出してしまいました。驚いたことに、それは一本の白い線で、この白い線の先に出てきた部分は、平らで滑らかな破面であり、まるで何か刃物で切り落とされた後、残った破面のようです。それに対して、この線の根元は一つの結び目でした。私はそこでいきなり目が醒めてしまい、指には夢の中の痛みも残っています。これは師父の暗示であるとようやく悟りました。執着という言葉は、英語でAttachmentと書くのであって、「くっ付く」とか「結びつく」という意味があります。この線の端の結び目はまさに、こういうことを意味しています。もう一端の切られた後、残ったような断面は、平らで滑らかなことから、さまざまな執着心は、修煉の過程において少しずつ取り除かれていくという意味をさしているのではないでしょうか?その線は抜き出された分が、どれほど長く、それに心に繋がっているようであるからといって、実際のところはこのくらいしか残っていないのです。更に抜き続けていくと、きっと根こそぎ一掃されることになるでしょう!よって私が心をもってそれを深く悟る事にしました。今まであれらの根が深く、簡単に動揺できない執着心は、何もかもなくなってしまったのに気づきました。今の私は、かつてこれほど気楽で充実した気持ちはないと感じていると同時に、他の同修の多くも同じく、この様な苦悩を持っていると知っているがため、ここで皆さんに述べたいと思います。あのように切っても切りきれずに、或いは切りとるとまだ出てくるあれらの執着心に、戸惑わないようにして下さい!それらの残る日はもう僅かで、師父や法を固く信じ、たるまず弛まず厳しく自己を律しさえすれば、根絶できない執着はないと思います!