日本明慧

万家労働矯正所の暗い小牢屋、鉄椅子

2002年2月22日 文/大法弟子

【明慧ネット】私は大法弟子です。以前、万家労働矯正所で野蛮に迫害されたことがあり、万家十二大隊に不法に投獄されてしまいました。2001年3月以降、警官たちによる野蛮な洗脳迫害が続きました。特に、信念の強い大法弟子への迫害は人間性を超えた想像を絶するほどのものでした。

2001年3月末から4月ごろから私への迫害が始まりました。警官たちは私を含め10人を真っ暗な狭い牢屋に投獄しました。この牢屋の中には壁の両際に2段ベッドがあり、ベッドとベッドの間は人間がぎりぎり歩けるぐらいの狭い空間しかありませんでした。私たちは長時間その暗い小牢屋に拘禁され、その部屋の中で食事や大小便をさせられました。普段は部屋の外に出させてもらえません。食事の時間になると、一人がご飯などを運んできます。糞便の溜まった便器は朝と夜に一人が掃除をします。糞便を捨てる場所までは結構離れているので、一人で溜まった便器を捨てに行くのはかなりの疲労を伴うものでした。普通のプラスチックのバケツのようなものを便器の代わりにしていて古いため、落としそうになることもあり、蓋がしっかり閉められず、鉄で蓋を押さえなければなりませんでした。私たちは長い間、この悪臭の立ち込める牢屋の中で過ごさなければなりませんでした。牢屋には通風口が一つしかありません。通風口は丼の大きさで、しかも私たちが手で掘ったものです。土曜日になると私たち10人は順番に衣服を洗濯し、水が滴っても良いように10数個のお盆を床やベッドの下に並べて、全員の衣服をを一斉にベッドに掛けて干しました。それでも地面はひどく濡れてしまいました。洗濯するたびに部屋の中は湿気でいっぱいでした。しかし、暴徒たちはドアを開けて通風させてはくれません。気温はぐんぐん上がり、益々息苦しく感じるようになりました。5月1日に私たちはハンストをして、なんとか食事、トイレ、洗濯をまともにさせてもらえるようになりました。私たちはまるで別の世界から帰って来たという感じでした。しかし、この日を境に外との連絡は完全に出来なくなってしまいました。

出所してから20数日経ったころ、暴徒たちは12隊の大法弟子を男隊に投獄しました。今回はさらに残酷な方法で大法弟子が迫害されました。悪警察たちは大法弟子を吊るし上げて苦しめました。死んでしまった弟子もいました。鉄製の椅子に座らされ、7日間も眠らせえもらえず、3日間トイレにも行かせてもらえないのです。ある大法弟子は5日間トイレに行かせてもらえなかったためか、排泄の制御機能がかなり低下し、病院に運ばれました。その後、暴徒たちはまた大法弟子をじめじめした地面に寝かせられ、20日以上も服を着替えることが許されませんでした。暴徒たちは警棒や電気棒で大法弟子を殴りました。殴られて脚が動かなくなり、歩けなくなる人もいました。6月中旬になってから大法弟子はやっと徐々に十二隊に戻されました。

十二隊に戻されて2ヶ月もたたない頃、大法弟子たちの身体には疥癬がわいて来ていました。こいつは痛くて痒いのです。昼間は非常に痛く、膿汁が流れ、夜は眠れないほど痒いのです。警察らは保証人をつけて一時的に矯正所を出て病気を治療するして、多くの大法弟子を釈放しました。しかし、その後、大法弟子はそのような形で釈放されるべきではないと悟りました。そこで、保証人を立てて一時期に矯正所を出て治療させる書類にサインをすることを拒否し、無条件で釈放するよう要求しました。警察らはこれをきっかけに更に迫害を強めました。警察らは衣服の洗濯を認めず、休憩もさせない。警察らの思い通りに行かなければすぐ私たちを殴ったり罵ったりします。私たちは酷い拷問を受けることとなりました。

私は釈放されましたが、いまだ苦しんでいる同修たちのことを断腸の思いで思い出します。万家および全ての労働矯正所の警察たちに強く希望します。自分自身と家族の輝かしい未来のために善良なる心で大法弟子を対処してください!これ以上悪事を続けると後悔する余裕すら与えられないでしょう。