日本明慧

善良な人は容易に動かせると思ってはいけない

2002年4月3日数十名の中国人と米国人法輪功学習者が、中共国家安全部、公安部、そして中央テレビ局(CCTV)に対し、米国土における計画的な暴力的犯罪行為、米国における法輪功学習者の基本的民権と、米国憲法第一修正案によって保証される権利の侵害を申し立て、合同で民事訴訟を起した。

これは江澤民政権による残酷な迫害に抵抗するための法輪功の新しい行動である。ワシントンDCの人権弁護士、マーティン・マクマホンによると、これは米国において外国政府部門を被告とする、自由とプライバシー権と権益の保護に関わる始めての民事訴訟である。

この訴訟の実際の歴史的意義は過大評価されることはない。少なくともこれは米国の法律を気ままに犯す中国政府部門へ、深刻なメッセージを送ることになるだろう。

電話盗聴や脅迫の置きメッセージなどがはびこっている件以外に、法輪功学習者によって申し立てられた件は、車を燃やされた、中国領事館の外での学習者への暴力、学習者の家への押し入り、略奪等を含む。このような事は大分前から知られていた。「共産党はひどいよ。米国に来てまで人をいじめる。」という言葉は中国人コミュニティにおいてよく聞く。多くの海外民主主義論者も同様の経験を報告している。この訴訟は独裁者とその配下に対する鋭い警告となるばかりでなく、より多くの人々が将来同様の行動をとるための前例ともなる。

最近廣州市における共産党新聞「廣州日報」に掲載された李洪志の二つの経文を思い出させる。長春市でケーブルテレビが法輪功のビデオを放映してから一ヶ月にもならないうちのこの出来事は実に人々をあきれさせた。

この時点になって法輪功の断固とした生命力を誰が疑うことができようか。二年前、江澤民は「法輪功を統治できないなんて信じられない」と言った。しかし事実、江澤民にとって法輪功を統治するのは不可能なのである。人は他人に自分の心理を反映させることで、しばしば間違いを犯す。江澤民は彼自身の心理の反映である威圧全能を信じる。他人にひどい扱いをする人は自分の臆病さを反映している。江澤民は明らかに考える。「もしも私がお前なら、これ程のひどい弾圧を受けることが分かれば、とうに降服しただろう。」 降服させることができないということを信じない者は、威圧にも負けず自分の信念を曲げない者を信じることができない。

約三年が経過した今、あらゆる手段をもって頑固に法輪功を弾圧することだけでも、江澤民の名を暴君のリストに連ねるに十分である。疑問は江澤民のどの後継者がその悪名を受け継ぎたいかである。

ユダヤ人はナチ犯罪者の追求に立ち向かう。これらの犯罪者は自分の正体を隠し、世界の果てに隠れるが、ユダヤ人は彼等を追い詰めるまで決して諦めない。ユダヤ人は、真剣さ、固い決意、注意深さをもって、ナチ犯罪人を歴史的恥へと突き詰めるのに成功する。ナチのユダヤ人迫害は人類にとって拭うことのできない記憶となり、後世に強いメッセージを残した; 決して忘れてはいけない、二度と繰り返してはいけない。中国人は、「たった五分の熱意しかない」としばしば批判される。しかし法輪功の粘り強い頑張りを見るとそうでもないものだ。

(筆者は法輪功学習者でない)

2002年4月26日