日本明慧

私はこのように正念で邪悪を取り除きます

2002年4月17日 文/北京の大法弟子 

【明慧ネット】まず、私は正念を発するときにまず、心と顔の表情を穏やかになるように意識を集中させ、それから一心不乱に口訣を唱えます。頭の中に余計な考えが浮かんでしまったときには、すぐ先生のおっしゃったことを思い出すようにします。邪悪を取り除くときにはいつもそのようにするべきだと思います。先生は「真の仏というのは宇宙の保衛者であり、彼は宇宙の全ての正の因素に責任を負わないといけないのです。」と仰せになりました。私は全世界の大法弟子のことを考えただけで、心の中は力で満たされました。修煉者は意念で功能を支配して物事を行ないます。私は無量天体の宇宙衆生、各次元の仏、道、神が師父を助けて共に邪悪を処理することに力添えします。まだ邪悪を処理し始めたばかりの頃は、ごろつき政府、警察たちを恨む気持ちがありました。ある日、邪悪を除いている時、もし、このような邪悪な宣伝や残酷な弾圧さえなければ、私の家族、友人、さらに多くの人が大法を得られるに違いないと、ふと思いつきました。特に、私の両親は、とても良い人です。《転法輪》を読んだことがあって、母は3回も読んでいます。両親には、《転法輪》がどのように良い人間になればいいのかと教えてくれる本であることをよくわかっています。しかし、現在、両親は私に修煉を止めさせようとしています。さらに母の心臓病は私を心配するためか、頻繁に発病するようになりました。もし、邪悪が存在しなければ、親を含めて、きっともっと多くの人々が法を得られると思います。このような極めてすばらしい大法を聞くことが出来て修煉できる人はなんて幸せなことでしょう!私の親と同じ境遇の千万人々が救われるように私は邪悪を取り除く必要があります!このことを思っただけで思わず涙が流れ、心は無限な慈悲で満たされて、心の中の恨みはすっかり消えました。

昨年の後半、私たちの煉功点の何人かの学習者は意外にも不幸な出来事に遭いました。それから、私はその学習者が残酷な拷問を受けはいないだろうか、ご飯はちゃんと食べさせてもらっているだろうか、と心配しただけですぐ涙が出て、一日中何にも話したくなくなりました。師父の本を読んでいたとき、自分が間違っていたことに気づきました。何かに執着していたためその難関を越えられず、大法弟子である資格がないと思ったからです。私は法に励まされ、常に思想業を取り除くことにしました。何時も思想業を取り除けるように毎晩、夜光時計を手に持って寝ます。昼間より夜のほうがよく取り除くことができました。あるとき、私は10分間ぐらい思想業を取り除いたと思って時計を見たら、なんと一時間以上時間が過ぎていました。これは生まれて初めてのことです。その後、同じようなことはまた何回もありました。この不思議な感覚のときは他の時空間場にいるのであろうと感じました。それによって、自分の執着心は徐々に小さくなってきました。

師父の慈悲は無限です。法の上で法を認識することは弟子としての私たちそれぞれにとって非常に重要なことです。同時に、私たちが自分を真の修煉弟子と見なしているかどうかとうことです。正念を持つことこそ、常に自分たちの心性を保つことなのです。なぜなら、私たちはまだ常人社会にいて常人としての仕事をして生活をしているからです。私はちょうどの時刻に正念を発して邪悪を取り除きました。ある日、私は料理をしていたとき、時計を見てちょうどの時刻になっていたため、そのまま台所に立った状態で邪悪を取り除きました。このとき私にとって一生忘れられないある光景を見ました。それは、無数の針先よりもさらにさらに小さい点が私の目の前に集まり、その点には色がついていました。そして、電気が全身を走ったような感覚がありました。それをはっきりと見ることができませんでしたが巨大無比の金佛を見ていると、頭の中に「神仙不知我、天地任疾走。寰宇時有尽、立掌換蒼穹」という詩が浮びあがってきました。その極めて壮麗な感覚は、本当に言葉で表現できないほどでした。ある日、私はバスの中で正念を発していると、突然バスが走っているのではなくて、周りの建物や人々や木などが後ろへゆっくりと動いていました。私は、「通った全ての場所、出会った全ての人々、見た全てのものの裏にある邪悪を除こう!彼らの大法に対する正しい認識を持てるように!」と心に思いつくと、以前に見たあの極めて無比に小さい点が法輪のようにあらゆる方向に発射していったのが再び見えました。

毎週土曜日の夜になると、私は眠ることが出来なくなるほど「興奮」します。それは、私たちがあらためて「春」に向かって大きく前進しているからです。ある日、5分間邪悪を処理して横になっていました。夢の中で私は自分が飛んでるのを見ました。夢であるのに実際に起こったことのようでした。本当に不思議な体験でした。

師父は「絶えず自分の執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程の全てです。」とおっしゃいました。だからこそ、いかなる執着心も捨て去らなければなりません。法の上で法を認識して、行なった事々を対照して、さらにどんな事をやっても必ず真剣でなければならないと思います。自分が執着心に気づいたとき、それを解決するには「信じる」ことしかありません。師父のお話を信じ、執着心が現れるとすぐにそれを取り除きます。最後まで「忍び難きは忍びうる、行ない難きは行ないうる」に従えば、全てがいいことになります。どんな時間でも、どこで正念を発するかなどにこだわりません。時間さえあれば、私たちは積極的に邪悪を取り除くべきです。無比に純潔な考えと心を持っていればこそ、私たちはさらに有効に邪悪を除き、「助師世間行」ことができるのです。