日本明慧

共に修煉する仲間に送る言葉(2002/5/4)


【明慧ネット】

◆最近大法弟子全体が必ずよく行わなければならない三つの事
一、 よく法を学ぶこと
二、 いっそう深く細かく真相をはっきり伝えること
三、 正念を発することに正しく対応すること

◆よく法を学ぶ
いくら忙しくても、必ず続けてよく法を学ばなければなりません。しかも、心を静めて学ばなければいけません。法を学ぶ時、必ず心を法の上に置いて、いい加減にごまかしてはいけません。これは全ての大法弟子が、法を正す過程について行き、そして法を正す仕事をよく行える根本的な保証なのです。 

◆いっそう深く細かく真相をはっきりと説明する
真相をはっきりと説明する目的は世間の人が救われるためです。よりいっそう深く細かく真相をはっきりと説明しなければなりません。大法の弟子として、まず自ら心を静めて、本当に相手に慈悲心を与え、相手のために考える角度から、相手の心の結び目を開き、真相をはっきり分かってもらわなければなりません。もし独り言を言うとか、あるいは自ら言いたいこと、知っていることを簡単に相手に言って済ますだけでは、相手は恐らく唯一の救われる機縁を失うかもしれません。

これ以外に、私達の日常の仕事、生活の中の言動、チラシを配ること、請願する時の言動、各種他の場所で真相を伝える時の心理状態と言動、他の共に修煉する仲間に対する態度と言動は、法を学んでいない、真相を理解していない世間の人に法輪功の真相を伝えることに他なりません。彼らはまた自分の見た私達の言動から、法輪功に対する態度を決めるかもしれません。ですから、法を正す過程の中で、大法弟子のすべての言葉、行った事は、相手が救われるか、それとも更に遠く押されていくかを、直接決めることになるのです。ですから、全ての大法弟子はいつも自分を法を正す時期の大法弟子として自覚し、自分の言動を厳しく要求すべきです。 

◆正念を発することに正しく対応する
正念を発して邪悪を取り除くことは、新旧の宇宙の法理に認められているのです。今度、法を正す中で特有で特殊な現象の一つなのです。大法弟子は存分にそれを重視して運用するべきです。特に法を正す過程は今日まで来ており、正念を発して、直接邪悪の首領を取り除く意義は重大であり、もっと多くの学習者が法理の上からはっきり認識して、そのうえ実際に行わなければなりません。同時に、法を正す全体面の角度から、理知的に正念を発することに対応すべきです。よく法を学び、真相をはっきりと説明し、正念を発する、この三つのことは、必ずよく行わなければならない大事なことで、円融的に、互いに補完し合いますので、どれも他の二つをおろそかにする理由にしてはなりません。正念を発する効果に関して、私達はできるだけよく法を学び、できるだけ早く法の上から熟成するべきで、法を学び、内に向かって探す中で、最大限に人間の観念と執着を取り除き、あれら魔性が主導した極端に走ったもの、及び過激なものを取り除いてから、ようやく自分の正念をますます強大にさせ、邪悪に隙を乗じられないようになります。私達の正念が純粋である時、どこで発しても遮られず、威力が巨大なのです。私達がまだそんなに純粋にやり遂げられないときは、特殊な情況の下、近距離で正念を発することにより補うことができます。 

◆いかなる情況の下でも真に法をより重視する
法を正す時期の大法弟子は、いかなる情況の下でもみな、法をより重視すべきです。自分の動機が良いからと言って、法を正す大局の角度から、世間の人を救う角度から、後の結果を考慮しないわけには行きません。法を正す中で、どこかで妨害があれば、そこで真相をはっきりと説明する必要があります。

いかなる事にぶつかっても、先に他人のために考慮し、矛盾にぶつかっても、内に向かって、自分が何らかの執着、私心と観念があるかを探さなければなりません。広大な寛容と善良な理解を以って、意見の不一致に対応して、大法弟子全体はようやく一つになれます。法をより重く見て、すべて私達が行うべきことを本当にうまくやり遂げるようにします。 

法を正す中で、一つの事をどのようにうまく行うことができるかと言うのは、恐らく多くの要素から構成されているかもしれません。その事をこのように、あるいはあのようにして、法を正す全体局面に対して、世間の人を救うことに対して、何の影響があるのか、ということを考えてみれば、自己と一つの具体的な事自身に執着しなくなり、それによって、みんなの意見(自分の意見を含む)をもっと良く法を正す全体局面のために働かせることができます。

◆法を正す時期の大法弟子と普通の修煉者との違いをはっきりさせる
1、法を正す時期の大法弟子と普通の修煉者の違いをはっきりさせる:法を正す時期の大法弟子の歴史的使命をはっきりさせます。
2、絶えず法を学ぶ中で、絶えず法を正す過程で、私達の法を正す仕事に対する要求を
はっきりさせます。
3、できるだけ大法の仕事をよく行う前提の下で、内に向かって探して、自分を高める
ことを忘れません。

私達の行うべきことをすべてうまくやり遂げると同時に、大法弟子の威徳として自然と造り上げることができます。もしあまりにも自己の角度から、個人の威徳を造り上げることを強調したら、恐らく逆効果をもたらすかもしれません。 

◆広大な寛容と善良な理解
論争の前に、皆さんの意見が一致しない時、できるだけ法を正す全体局面と大法弟子の全体局面から問題を認識し、広大な寛容と善良な理解を以って、他人のために考えて、一つの具体的な事あるいは行動の中に落し込まず、自分の考えを制限せず、冷静、理知、知恵をもってすべての人と事に善良的に対応し、ようやく本当に法に対して責任を負うことができます。
◆真相をはっきりと説明し、世間の人を救うことが根本です
法を正す中で、世間の人を救うことが根本的なことなのです。政府の面にしろ、メディアの面にしろ、各種他の角度から世間の人の理解と支持を得るにしろ、みな相手に真相をはっきり分かってもらうことで救っています。それによってもっと多くの世間の人が救われます。もしこれらをみな常人の中の事として行えば、恐らく自分を制限し、相手が救われる機縁を引き止めるかもしれません。