日本明慧

世の人々を救い済度することにあたって一パーセントの希望でもあきらめない


文/大陸大法弟子

【明慧网】私は自分がはるかに遠い天体から来ていることを知っています。わたしの宇宙体系の衆生を代表して師父と縁を結び、その宇宙天体の中の無数の衆生が正法時期(法を正す時期)に大法に同化するためです。わたしは自分がいかに大きな使命を担っているか知りながらも、人間は世の中のすべてに執着しているため、しばしば無意識のうちに自分の使命を忘れ、頭の中には「もういい、彼が聞いてくれないのならいい、すでに彼に説明したのだから・・・」などの考えが入り、このことによって多くの真相を説明するチャンスを逃してしまい、また自分を責めてしまいます。時には、使命の重さに耐えられないような気がして、心の底では師父に自分の思いを愚かに語ったりします。

心静かにし、真剣に自分のよくない思想を取り除いたら、こんなに簡単に諦めることの背後に隠されている邪悪勢力の影を見つけ出しました、またこれらの邪悪を取り除くルートも見つけることができ、豁然として悟り、自分が歩むべき正しい道がわかるようになりました。さらにわたしが気付いたのはこのような状態はただ私一人だけの問題ではなく、多くの大法弟子がわたしと似たような体験をしています。このような状態は個人にとっては自暴自棄だが、簡単に諦めることは世の人々にとって、かれらが救われるチャンスを逃がすことになります。

わたしはついに正法弟子(法を正す時期の大法弟子)の慈悲とは何を意味しているかがわかるようになりました。現在の世の中の人はすでに当初造った人ではなく、この人の皮(高い次元で言う人の皮は分子で構成した人の血、内臓などをすべて含む身体を意味する)の裏は、ほとんど遥かに遠い宇宙体系の高級生命です。このような高級生命に向かって、正法弟子の慈悲はもはや一般常人に対する慈悲ではなく、厖大な宇宙体系の高級生命及びかれらの体系内の無数の生命に対する慈悲です。このような認識から私は師父が何度も正法弟子は偉大だとおっしゃることを理解できるようになり、さらに正法弟子としての使命感もいっそう強くなりました。

私は簡単に諦めることによっていかに恐ろしい結果が待っているかがはっきりわかるようになりました。それは自分の宇宙体系の無数の衆生を放棄することであり、他の宇宙体系の主と王及びかれらの無数の衆生を放棄することでもあります。わたしの行為によって無数の生命の存亡が決まります。これは単純なことではありません!私は最も厳粛に応じ、最も真剣な態度で対処すべきではないか!もし私の執着が原因で無数の衆生が大法に同化することができなかったとすれば、それは私の無責任な行為によってかれらが命を失うことにひとしいのです。これ程、悲しくて悔しいことがあるでしょうか!

私は、はっきりと私の命はただ私だけに属するものではないことがわかりました。私は自分の宇宙体系の衆生に対して責任を果たし、宇宙の中の一切の正の要素に対しても責任を果たすべきで、あらゆる口実をつけ、簡単に諦め自分の使命を放棄する権利もなく、必ず自分が覆う宇宙体系の衆生を大切にしなければなりません。だがこの宇宙の邪悪な勢力はあらゆるすきをねらい、私の執着と観念を利用して私を怠けさせ冷淡にさせ、不意に安逸を求めさせ、いつのまにか責任感を薄くさせます。私は自分がこのような表面的な状態に惑わされず、法に基づいてそれをはっきりと見分け、正視し、正念で取り除くべきだとはっきりと認識するようになりました。

師父は宇宙のすべての衆生を救い済度しようとしていますが、旧勢力は衆生を利用して大法に対して犯罪を犯し、衆生の生死を全く気にしないのです。かれらにとって自分たちが執着するものだけが保てればいいのです。これはいかに変異で冷酷な観念なのでしょうか!正法弟子の中に現れる、簡単に諦める考えはまさに旧勢力のこのような変異した観念の現れではないでしょうか。これも正法の中で正す要素ではないでしょうか。

師父はかつて大法を反対する側に立った弟子さえ簡単にあきらめませんでした。このような洪大な慈悲を私たちは億万分の一でも体得できたことがあるでしょうか。師父の《北米巡回講法》を読んだ時、私の内心の感動は一言では表せません。私たち自身より私たちを大事にする先生を思うと、わたしたち自分自身はさらに私たちの宇宙体系の衆生を大事にしなくてはいられなくなります。わたしは自分の執着により自分の生命の本質を放棄したり、自分の執着に甘え自分の宇宙体系の衆生を放棄したり、他の宇宙体系の高級生命が迷いの中で壊滅に向かうことを目にしても、見て見ぬ振りをしたり、人々の道徳が乱れ神様を信じないことを口実に放棄したりすることはできません。

私は中国の昔のある物語りを覚えています。昔他人から得ることだけに専念し他人に与えることを嫌う人が、皆と一緒に船に乗って河を渡っていました。途中で不意に足を滑らせ河に落ちました。皆が「手を伸ばして!」と言いましたが、このけちな人はどうしても手を伸ばそうとしませんでした。事態が切迫している中、彼をよく知っている人が口調を変え「わたしの手を伸ばすよ」と言った瞬間、かれは手を伸ばし救われました。昔の常人さえ人を救うため救われる人の私心に配慮することができるのに、私たち大法弟子としてはさらに救われる人々の執着に寛容であり、あらゆる方法で世の人々を救うべきです。

私ははっきりと邪悪勢力が、自分が消滅の対象になったとき暴れ狂うことを認識しました。消滅の対象になったとき、かれらは私たちのほんの少しの不正な考えをも利用しようとしています。それではどうしたらよくない観念を放棄できるでしょうか。肝心なのは私たちは常に自分が大法弟子だということを自覚することだと思います。もし私たちの主意識がもっと強く心が純粋で常に法に溶け込んでいたならば、邪悪勢力が私たちの執着を利用しようとしても迅速にそれを見分け、しっかりとつかんで正念でそれを消滅することができます。この過程で、無頓着で冷淡な考えが除除に弱くなり、使命感と正念が除除に強くなり、慈悲心が除除に大きくなり、迅速に人間から神さまの状態へと転化するでしょう。

今は正法の最後の最も大切な時期であり、一分一秒でも大切にしなければなりません。正法が一日でも持続すれば衆生は救われる機会があります。正法が終わってない限り一パーセントの希望でも、私たちは全力を尽くすべきです。これも正法弟子としての偉大で慈悲の溢れたものです。