日本明慧

 2001年に法を得た弟子:師に新しい人生を賜り、師を助けて法を正す

【明慧網】私は河南出身ですがこの都市に来てアパートを借り、商売をして家族を養っています。2001年6月のある日、アパートの大家さんから法輪功を紹介してもらいました。その時から私は修煉の道を歩むようになりました。その私の修煉経歴を述べたいと思います。
 法を得る前の一時期の事です。私は病院で脳半球低下と脳心病という重い診断を受け、救いようがない、と死を言い渡されたのです。この宣告を受けた私は絶望に近い状態でした。病気による体の痛みにプラスして数千元の医療費は、ただでさえ余裕がない家計に負担をかけるようになり、私の病状は、さらに悪化する一方でした。私はのどを食物が通らず、歩くことも出来ず、植物人間のように寝たきりで死を待っている状態でした。家族のものは涙を汲みながら私の寿衣を準備していました。私にとっても二人の幼い子供を置いて行くのが心配でした。私が死んだ後、誰が彼女達の世話をしてくれるだろう?
 一人の人間として自分が間もなく死んでしまうのがわかっていても、何も出来ない絶望の気持ちは言葉では表現できないほど、本当に辛いことでした。
 その後、大家さんから法輪功を紹介してもらい、又《転法輪》の本を貰い、寝床で読み始めました。別の本を読むときは眠くなりますが、この本を読む時は全然眠たくならないのが不思議でした。それで、私は本を一気に読み上げることが出来ました。大家さんは私に煉功動作を教えてくれました。半月後、奇跡が起こり始めました。全然眠れなかった私が眠れるようになり、さらに食事も出来るようになり、少しずつ元気になって来ました。私は、この功法は本当に不思議だと心からつくづく感心していました。病院から死を宣告された私を元気に戻してくれた法輪功だから、私は煉功を続けることを決め、毎日煉功と法を学ぶことを続けました。それから間もなく私の天目が開き、他の空間に有るいくつかのすばらしい真実の光景が見えるようになりました。本当に先生が《転法輪》で述べられた通りでした。これは私の修煉の自信を一層固めてくれました。ある時、先生は私のベッドの横に座って、私と他の人々がどういうふうに縁が出来ているのかについて話をしてくれました。ある日、突然私の頭がひどく痛くて破裂そうになり、又麻酔をかけられたようになりました。私は、これは自分の頭に有る問題を先生が浄化してくれていると思い我慢しました。確かに間もなく良くなりました。2001年9月から又大きい病業を打ち消すようになり、心臓が苦しくて、全身が痛くなりました。でも私は煉功と法の勉強を続けました。ある日天から人が降りて来て私の腕と背中を軽く叩いてくれてから痛みが消えました。今回の病業は非常に大きいので、5ヶ月過ぎた2002年初頃に、薬も飲まずに回復し全快になりました。
 私は心から感心しました。法輪大法は本当に良いものです!先生は本当に素晴らしいです!私を死から引き戻して、体を浄化し、新しく生まれ変わるようにしてくれたのですから。先生と大法に対する私の感謝の気持ちは言葉ではうまく表現できませんが、只、法に従って前に向かって進むことが、先生への恩返しだと思っています。法を非科学的だと批判する人達は、まったく何も分かっていません。私の経歴が大法を実証する1つの真実の例ではないでしょうか?私の経歴が“大法は正しい、本当の科学的で、唯心的な説教をするのではない”という偉大な見証ではないでしょうか?でも私のような経歴を持っている人は珍しくありません。現在私はどうして大法が3年間迫害されても、大法弟子達の修煉する心を少しでも動揺させることができず、返って大法弟子達はどんどん確固として熟して行く一方だと感じました。
 私は法を得たのが遅くなったので、ある事に対しては悟りが着いて行けませんでした。始めは只個人修煉状態でした。北京での上訪、宣伝ビラを配るなど真相を説明する事に対して理解が出来ず、どうして彼達はそんな事をしないと行けないのか分かりませんでした。その時ある弟子からこう言われました。“私達は法を正す時期の大法弟子で昔の個人修煉とは違います。今は世間の人々に真相を伝えて、世の中の人々を救う為に出て来なければいけない時期です。”その後、私は法の勉強と先生の「示し」によってやっと悟ることが出来ました。ある夜、私は夢を見ました。夢の中で私は弟子達と一緒に試験を受けていました。私は第1列に座っていましたが、試験が終ると他の弟子達は法船に乗って先生と一緒に行くようでしたので、私も何気無く彼達に付いて乗りました。その時先生は、“貴方はまだですよ、貴方には多くの仕事が残っていますから。” と私に言いました。目醒めた後、私は大勢の人々が私の救いを待っている事を悟りました。そして、私は大法弟子達から真相資料を貰いました。彼たちは私の悟りに大喜びしてくれました。その日の夜、私の座禅の時間は大いに長くなりました。それから私は毎日100枚以上の真相資料を貼り続けました。そして時間を大切にして毎日2時か3時に起きて煉功をしてから法を学び、明るくなると商売に出て、10時頃に帰って来て娘と交替し、それからの時間は法の勉強と煉功、そして正念を発することに使っていました。私は自分が法を得たのが遅かったので先生の正法過程に付いて行ける為には、何倍の努力も必要だと思いました。時には自らを弛めて2、3日真相説明に出ない時も有りましたが、その時には私がちょうど眠れそうになった時に先生が来られて私に教えてくれました。“今は肝心な時期です。貴方が苦労しているのは私にも分かっていますので、頑張って下さい。”先生の慈悲な助言はいつも私に勇猛な精進を激励してくれます。普段も、先生は私に厳しかったのです。一寸の間違いが有っても、つまづくようにさせてその中から悟るようにしていました。
 時には先生は私のこの段階で見る事が出来る光景で現れます。私は天の上で井戸口を見ました。天の上の神様達は井戸口に集まって下を見ていました。自分の子供の修煉が良く出来ているのを見て喜ぶ神様もいれば、自分の子供の修煉が良くないので悲しそうに泣いている神様もいました。ある時、先生は私を連れて親と対面させようとしました。私は自分自身の修煉が良く出来ていないので彼らに会う面目がないと言いました。私は又天の上に有る制金室というところを見ました。その上には圓満出来た人と修煉が良くできた弟子の名前が書いてありました。名前は毎日変わります。ある時は書かれてありますが、ある時は消えています。私はこれを見て、今日は本当に修煉しているのですが、明日は本当に修煉しないかも知れません。修煉は最後まで頑張らなければならないと思いました。ある時、私は煉功後に先生に会いました。他の弟子達もいました。私達は先生と一緒にテーブルの周りに座りました。テーブルの上には美味しい食べ物が置いて有りました。先生は自ら食べ物の皮を剥いて私達に渡しながら、“たくさん食べなさい、先生と弟子の関係は親子の関係です、あなた達は私の子供達と同じです。”とおっしゃいました。
 これは、私の一年にもなっていない修煉の経歴ですが、皆と共に励まし合おうという気持ちで書きました。
(投稿者の付け加え:同修者の文化水準が限られている為、口述通りに代筆して整理しました)