日本明慧

法輪功に対する迫害は全人類に対する迫害である

文/鄭建
【明慧ネット】一部の人は自分が法輪功を学んでいないから法輪功への迫害は自分とは無関係で、社会的責任も負う必要もないし、自分が迫害されない以上、放っておけばいいと思っている。このような考えは土地改革の時、地主が殺されたことや、文化大革命の時、右派が非難されたことなどを思わせる。当時、人々は不本意なうそをついてその日を無事に過ごし、国家利益、民族の将来が滅んでもしょうがないと思っていた。

  違う視点で江沢民集団による法輪功への迫害の真因を探ってみよう。毎日のようにテレビ、新聞で溢れるでっち上げでも、広告のように頻繁に洗脳をおこなうことも、刑務所、精神病院、監獄で拷問を加え、法輪功を放棄することを強いられることにしても最終目的は法輪功をやめさせることである。法輪功を続けることで会社から解雇され、学校から退学され、巨額の金を罰金されたり、殴り虎椅子(拷問の一種、戦前国民党の遺産)に座らせ飛行機を背負う(拷問の一種)焼いたり冷やしたり精神病院で薬を飲ませたりするようなすべての迫害は法輪功をやめさせることである。法輪功をやめると直ちに家に帰り、正月を家で過ごすことができる。あまりにも鮮明な対照である。本意でも不本意でもやめる保証を書くことでこのような大きな差が出てくる。いうまでもなく江沢民集団が恐れているのは法輪功の説であろう。三字でまとめられる“真、善、忍”という説である。今回の迫害は実質的に江沢民集団と“真善忍”との間の勝負である。

  ある人は法輪功は迷信を宣伝し、政治をやっていると言っている。これは全然根拠のない話であり、無責任な話である。まず、法輪功が唱えている説は“真善忍”という宇宙の特性であり、三字でまとめられる。だがこの三字は我々が理解できる表面的な意味だけではなく、その背後に無限の内涵が含まれている。佛家の何十万巻の経典も一文字“善”でまとめられ、道家も一文字“真”でその内涵がまとめられる。我々の現在の理解で見れば、真善忍の本質を歪曲しているにすぎない。その二、法輪功を学ぶ人で個人差があるかもしれないが、全体的には“真善忍”に基づいてトラブルなどを解決してきた。例えば4・25上申もある人“忍”が足りないと言うが、中国の民衆は従来理不尽な待遇でも耐え忍び、強権におとなしく従うように洗脳されているがそれは真の忍ではない。七年間で、一億にのぼる人々が学んだが、若し法輪功が全然いいところがなかったらだれも続けないはずである。社会にいい影響を与え、人民の心身ともの健康に貢献したなら憲法が定める信仰の自由を享受すべきなのに、96年に本の出版が禁止され煉功が禁止されているのは何を意味しているのか。なぜ上申に行った民衆が捕まえなければならないのか。この時、政府に上申に行くのは政府が法を守ることを信頼しているからであり、法律の建設を推進することにも意味が大きいし、完全に正確である。かれらは静かに行き、静かに帰ったのは忍の現われではないのか。忍は何も行動しないことだけ意味するのではなく、情理にかない、合法的であれば正しいのである。

  その三、法輪功はあくまで平和的に解決することを呼びかけているが、江沢民は初めから勝手に行動し、人民大会の決議なしにかってに法輪功について定性し、基本的法の原則を違反し、江沢民が定性した後慌てて法律をつくるなど世界の前例のないことを始めた。ちょっと注意すると江沢民が個人的な気持ちで動いていることに気づくだろう。弾圧は三年も続いたがかえって世界で学ぶ人が増える一歩だ。なぜ独裁の鉄拳、強大な専制の機器下でも法輪功を叩き潰すことはできなかったか。他の団体などだったら姿を消したかもしれない。このような真実からも、今回の闘争は共産党の歴史上もっとも卑劣な政治運動であり、その弾圧の対象は“真・善・忍”を信仰し、真善忍に照らして行動する人々である。警察の話を借りれば、あなたたちが法輪功の真相を話すのは絶対許さないことでその真意は人々が真相を知ることを恐れている。一言でいえば真善忍に照らして行動することを許されていない。実は中央委員会でも弾圧を断行しているのは江沢民を代表とするごく一部であり、そのことからも今回の闘争は江沢民と真善忍の間の勝負である。

  もし誰しも本当の話を話さなくなり、お互いに騙しあい、妻が夫を騙し、子供が親を騙し、官僚が民衆を騙し、国家が庶民を騙したらこのような世界で人々はお互いに敵視し合うことになり、地獄のような苦しい環境になってしまう。江沢民はなぜ本当の話に反対しているのか。かれは毎日腐敗と戦うような話を口にするが自分自身こそ中国腐敗の頂点に立っている。(江沢民の息子が中国の一番大きい電信会社を経営している)もし、人々が法輪功のようにあえて本当のことを話せば彼は独裁の椅子に座れなくなる。このような分析からも彼にとっては真善忍との戦いは生死の闘争である。

  もしこの世界で人々がお互いに恨みあい、騙しあい、いつも他人から得ようとし、他人をいじめようとしたら幸せになれるだろうか。人々は温もりを感じるだろうか。だとしたらなぜ江沢民は善を反対しているのか。もし人民大会の常務委員の方々が団結するとしたら、江沢民の人品、学識、才知、管理能力では国家主席の座が揺れるのではないだろうか。そうなるとかれの不和の種をまく手法は効かなくなる。また、他の人の善からかれの醜い顔が照らされてしまうことから逃れるために真善忍を信仰する法輪功を恨み弾圧している。

  もしこの世界で誰も忍ぶことなく、トラブルがあったら銃で向かい、今日は原子爆弾、明日は細菌戦をおこなうと地球を何日間維持できるだろう。江沢民はなぜ忍を反対するのか。かれに欲望を我慢させるのは無理で、かれは貪欲で満足を知らない。簡単に退位し、独裁の座を他人に譲ることに我慢できるのか。かれにはできないのである。だからこそ忍に反対しているのである。

  このような分析からも皆真善忍は人類存在の基礎であり、反対してはならないことで、江沢民が真善忍を重んじる法輪功を迫害することは生命の基礎を弾圧することにひとしい。我々は皆被害者ではないだろうか。だからこそ法輪功を学ばない人でも勇敢に真善忍への迫害に反対するべきである。今回のような迫害は法輪功を学ぶ人だけではなく、地球に住んでいる人々を迫害することにひとしい。

  成文:2002-4-12 投稿:2002-4-13 更新:2002-4-13 5:21:03 AM