日本明慧

4.25 中国の歴史上初めて大規模な平和的陳情が行われた


【明慧ネット】2002年4月25日

3年前の4月25日、過去に例を見ない歴史的な事件が北京の中心部で発生した。全国各地から数万人の民衆が国務院(日本の内閣、アメリカの国務省に相当)の信訪局(中国で陳情する窓口)の周囲に集まったが、これは中国5千年の歴史上前例のない、大規模な民衆が平和的に権利を求めた請願活動である。信訪局は中国政府官員が集中している中南海付近に位置していた。

多くの政府関係者及び評論家はこの事件について、民衆の勇気について評価し、良好な展望を示した。その日、朱熔基首相が代表と接触し穏便に解決したにもかかわらず、国家主席である江沢民氏は異なる見解を見せた。法輪大法ニュースセンターによると、中国高層部筋から、江沢民氏が“真・善・忍”を信仰している民衆は簡単に制圧できると思い込み、政治運動を展開することによって自分の権力を固めようと弾圧に踏み切った事実が明白になったという。

中国全体を封鎖した情況下で江沢民氏は、世界に向けて今回の平和的請願で民衆が中南海を囲い込み、政治的目的があると証明するために、この3年来テロリズム的な弾圧をおこない、無辜な法輪功学習者に残虐な迫害を加えた。

その当時、影響力を持つ欧米のメディアが現場でこの平和的集会について詳細に報道した。大量の写真とビデオが証拠資料として残っているにもかかわらず、一部の新聞や雑誌は江沢民政権のこの事件に対する歪曲的な報道を転載した。

事実、4.25事件は簡潔かつ明瞭なものである:

天津政府関係者は法輪功学習者に、北京に行って解決することを示唆していた。事件発生の数日前に天津市付近の一部の民衆が、地方雑誌に載せた法輪功を誹謗中傷した文章について、事実関係をはっきりさせるため新聞社に行ったが、一部の学習者が警察に殴打され逮捕された。この新聞社も最初に犯したミスを認め、訂正することを約束していた。だが間もなく北京から天津政府関係者に通達が届き、民衆に北京の信訪局に行ってこそ解決できることを示唆するよう強要した。
 4月25日当日、民衆が集まったのは中南海ではなく、信訪局である。天津事件を知った付近の地区の人々は一人一人、三々五々信訪局に集まった。かれらは警察と政府関係者の指揮に従い、信訪局付近に位置している中南海の大通りの両側で静かに立ち、スローガンも横断幕さえも持っていなかった。

当時首相である朱熔基氏は平和的に事を解決した。請願に行った民衆に陳情の機会を設け、まもなく天津で拘留した人も釈放した。その後中南海周囲で静かに待っていたすべての民衆は家に帰り、政府当局の穏便な解決に満足していた。

一部の評論家は今回の整然とした秩序に驚き、参加者は一定の高度な組織と規律の指揮のもとで行動したと認識していた。しかしながら、法輪功を学んでいる人々にとって、このような非暴力的な秩序を保った請願は、完全に自然な現れである。というのは、“真・善・忍”を信仰し、このような道徳規範に基づいて自分を律するからである。これが、このように多くの人が集まり、お互いに顔も知らず事前の組織的訓練がなくても、平和的に自国の政府に請願することを可能にした。かれらの願いは、ただ天津事件を解決するために、信訪局で事実関係をはっきりとさせることだけであった。

過去3年間、世界各地の法輪功学習者はずっと、平和的かつ非暴力的な請願をおこない、中国での危機を解決する道を模索してきた。中国における国家テロリズムに対して、法輪功学習者及びその支持者は最も高尚な方法—慈善、忍耐、平和で恨みと邪悪に耐えながら平和的な解決を呼びかけてきた。

事実、このような方法は確かに影響をもたらした:

この3年間、中国で多くの法輪功学習者が非人道的な迫害に耐える過程で、全世界で毎日多くの人々が真相を知るようになり、さらに多くの人々が国家テロリズムを停止させるため、正義の味方として努めている。

今日、中東及びある地域では、その紛争により注目を浴びているが、それらの地域では、すでに暴力対暴力のような悪循環が形成されている。このように不安定な分裂主義とテロリズムは全世界に影響を与えているが、温和で民衆の平和的な力による無抵抗運動は、必ず江沢民政権の迫害を停止させ、全世界における他地域の抵抗と恨みへの平和的解決にも影響を与え、そして模範となるであろう。

3年前の今日、平和的な運動が中国で始まった。今日に至るまで皆は善良で非暴力的活動を忠実に推進してきた。長い歴史の中で学んだように、凶暴で残忍な迫害は、非暴力かつ平和的な力の前で、失敗に終わるしかないであろう。

正義は必ずや邪悪に勝利するものである。