日本明慧

毎回の魔難を通して自我を高めよう

2002年5月3日 文/中国の学習者
【明慧ネット】ある学習者が、“一日良く出来るならば一日よくやり、一万年良く出来るならば一万年よくやる”と書いたことがありました。その文章を読んだとき、彼の真と善、そして忍に、感動を受け涙が溢れてしまいました。
以前は、自分の体験を明慧ネットに発表しようとは思いませんでした。それは心の中に、自分は良く修煉が出来ていない、他の人の様に認識が深くなく、良く悟ってもいないという障害があったからです。今回文章を書いたのは、自分の体験を書くことも、正法の時期における大法弟子としてやるべき事ではないかと認識したからです。期待することなく、頼ることなく、正法弟子は一つの一体を成しているため、自分の体験であっても、誰かの助けになるかも知れないと思ったからです。
わたしは真相の資料を配るたびに、恐れる心があります。資料の配布をしようとする前に、いつも慈悲なる師父はそれを押し出してくれています。心を落ち着かせ、行動する時には何も考えなければ順調にいきます。何も考えなかったからこそ、恐怖心もなく怖がる要因もなかったのです。マーケットで買い物をするときに、面と向かって資料を渡したことがありましたが、何ら恐れを感じませんでした。
しかし、最近煉功点の一人が尾行されたことにより、この恐れる心が現れてきました。資料を配りに行こうすると怖がる心が出て来ます。「法は全ての執着を破ることが出来る」と師父が教えてくださいましたので、本を読もうと思い立ちましたが、どうしても頭に入らず、しかも資料を配る時の人に逢う場面ばかり頭に浮かんできました。(このような想像や疑心は全て変異した物質なので取り除くべきでしょう)考えれば考えるほど怖くなり、心理状態は不安定で、材料を配っても順調に行くはずもなく、知人にも遭遇しました。家に帰ってもこの恐がる心が再び現れました。そこで、正念を発し定刻にも正念を発しました。正念の威力及び師父を信じていますので、その後は少しも被害を受けることなく過ごしています。
ある学習者が明慧ネットに発表した文章で、正法の口訣は恐がる心の保護となるべきではないと書いていましたが、これも間違いのないことと思います。これはこの人の次元で証悟した理でありましょうが、大法は圓融かつ不破であると思いますので、他の面からの認識をお話したいと思います。第一に、正法の口訣は師父が下さった法であると思います。「その表面はただ白紙に黒い文字だとは見ないでください。各文字の後ろには無尽蔵である各層の空間があり、さらに各層空間の佛、道、神がその後ろではっきりと表れます。」《ヨーロッパ法会での講法》と李 洪志先生は話されました。また、「かつて、わたしが悟を話したとき、だれも言わない一つの天機を話したことがあります。つまり“修は己にありて、功は師父にあり”」ともお話しされました。千百年以来皆自分が修煉し、自己を高めようと思ってきましたが、実はあなたは修煉しても何も得ることが出来ません。面倒を見る師父がいないと何も解決できません。つまり本当の問題は師父が解決してあげ、法の後ろの要素が解決してあげます。あなた自身の悟りは、ただ修煉中で困難を克服した後続いて修煉して行くこと、つまりこれはあなたの悟りを言い、本当に理から何かを悟ることです。この法をまずあなたに知らせないと、あなたは如何に悟ろうとしても悟れません。だから、あなたは必ず一つの条件を備えることです。言いかえればあなたは必ず本当に修煉することです。」 《ヨーロッパ法会での講法》とお話しされました。従って、正法の口訣は法であり、各文字の後ろには数え切れない佛、道、神がおり、文字のそれぞれの部首さえ佛、道、神であると思います。わたし達がこのいくつかの文字を読む時、師父を信じ、法を信じ、正念の威力を信じるかどうかという問題があります。師父は「法は全ての執着、全ての邪悪、全ての虚言を破ることができ、法は正念を固めることができます。」《妨害を排除せよ》と申されました。ですから、自分の正念が十分であれば、正法の口訣を読誦すれば全ての執着を破ることができると悟りました。
次に、“怖がる”という執着は他の空間では、やはり物質として存在するものでしょうが、正法の口訣を読誦する時、正念を固めて信じる問題だけではなく、この変異した物質も取り除き、消滅させるものでもあると思います。
第三は、“怖がる”は実は宇宙の特性“真・善・忍”に合わなく、万物には全部魔性と佛性がありますから、これも一種の魔性の現れと思います。師父は《シドニー講法》で“彼は迷いの中で彼のこの佛性を固めていきますので、彼は修煉することができます”と話されました。わたし達の修煉過程は執着心を取り除く過程だけではなく、魔性も取り除き、自分の佛性を不断に満たす過程ではないかと思います。正法の口訣を読誦することは、邪悪を取り除くだけではなく、口決は法であり、従って不敗の法力があり、魔性を取り除くことによって、自身の佛性を充実させる過程ではないかと悟りました。
以上これらは、自分が困難にぶつかり、それを克服し、正念を発し、正念の威力を体現すると同時に悟った小さな理です。毎回問題が出るのは、心の状態が穏やかでないためであり、自分の魔性が暴露されたものでした。それを取り除くことは、師父が執着心に対する問題を慈悲により、指摘してくださったことでしょう。ですから、“毎回の魔難の機会を大事にしよう”と思いました。その中には自分が高まるべき数々の要因があると思います。師父は「このような環境は、非常に邪悪ではありますが、それは得難い環境でもあるのではありませんか? 本当に得難いのです。この時期が過ぎてしまえば、二度とこのような機会は現れません。皆さんは大法弟子であるからこそ、このような機会とめぐり合えましたが、過去における一般的な修煉、或いは個人の修煉にはこのようなことはありませんでした。」《ワシントンDC国際法会での講法》ですから、毎回の魔難の機会を大事にするべきだと思います。
大法の弟子は、旧勢力による干渉を全て否定し、一旦問題がでれば、十分なる信心をもって正念を発することで、邪悪は全滅できると思います。師父が《北アメリカ巡回講法》で、「大法弟子は正念を発し、邪悪が皆さんに加えた迫害を根絶していますが、正念が純正であればやってもいいのです。旧い法理もこのような理です。これは正念をもって修煉に対処し、正念をもって衆生を救い済度することと同じ道理です。」と話されました。
以上自身の修煉による僅かな体験により悟ったことですので、次元も限られたことと存じます。どうぞ皆様からのご指摘をお願い致します。