日本明慧

信仰の特質から法輪功の平和的な抗争を見る

2002年5月6日 文/華風 

【明慧ネット】中国共産党当局が法輪功を弾圧し始めてから3年間に近くなった。3年間にわたった暴虐な弾圧をもってしても、法輪功を消滅させる目的を達成することが出来なかったばかりか、反って国際社会において法輪功は迅速に広がり、普遍的に賞賛を得、人類の信仰の自由や、基本人権を守る記念碑を創り上げた。

弾圧失敗後の突破口を見つけるために、大陸政府に支配されたメディアは、法輪功は“反華勢力の支持”と結託し、“政治闘争の道具”になっていると主張し、或は“アメリカから二千万ドルの援助”を受けたなどの嘘をついて、是非を混乱させ、人々を騙して、無理やりに法輪功を政治の領域に巻き込みたがっている。

実は、どんなタイトル、どんな罪名で中傷しても無意味なものである。法輪功が高くそびえ立って、倒れない根本な原因は、学習者たちが“真、善、忍”を固く信じているからである。

一般的に言えば、一つの時代が窮地に向かっている時、一つの社会が困難な問題に面している時、これに応じて思想家や哲学者が生まれ、ある種の主張や学説が提出される。この様な思想は民衆に受け入れられ、信じられたら、これを元として同じ価値観や行動原則の精神団体を形成する。時に周りの環境に影響し、変化させる動力にもなる。これが所謂信仰の力である。何千年来、人類歴史の各発展段階に多種多様な信仰が現れたことがある。例えば東方では仁を求め、道になる;西方のキリスト教精神、現代科学、自由民主主義……等はすべて一種の信念として追随者の行為を支配していた。

厳密に言えば、信仰は一種の思想や認識方法と同じではなく、政権及び政治に必要な政治理念に仕えるものでもなく、環境要因によって生じた社会思潮、或は文化思潮でもない。信仰は人の精神世界に根を下ろし、社会真理、歴史真理の上に、それを越えて神様によって啓示された究極真理である。信仰の特質はあらゆる政治利益、民族利益、経済利益及び現実利益を超越した究極性と独立性があることにあり、生命と現実の間に内在的な関連の本質を掲示し、最も人の心を感動させ、人間性に近寄る究極の労わりと召喚であり、信仰者の巨大な精神の力と行為の選択基準とすることである。

人心が乱れ、世態が日々に悪くなっている今日に、法輪功の“真、善、忍”の原則及び真新しい宇宙観は、人生の真髄と生命の真意を探している億万人々の心を惹きつけた。法輪功に対する正しい信仰と自らの体験によって、初めて法輪功の学習者は、何年間にもわたって、変わらない平和的な抗争と無数の苦難を耐えることが出来た。江沢民集団の残酷な弾圧の下で、中国大陸に何にも人権がない法輪功の学習者は、生命を代償にして天安門広場で心の声を表すしか出来ない。海外の学習者は中国大使館の前で平和的に陳情し、或は国家の指導者が外国訪問の際に不公正な迫害を止めるように呼びかけ、これを以って信仰を堅持することを表明するしか出来ない。この自らの信仰に対する忠実と努力は、人間の精神昇華を望む生命本質と人間性の尊厳の現れである。これを政治化、世俗化するあらゆる悪意の歪曲は、すべて人類の信仰や先天の尊厳に対する冒涜と侮辱である。道徳範疇にある信仰は、直接に社会問題の解決法を提供したり、対応したりしないけど、社会の安定や人心が善に向かうことを促進できる。だが独裁と強権の社会において、強権者は信仰を政権の脅威と看做している。法輪功が弾圧された根本な原因は、法輪功の学習者の真善忍に対する信仰にあり、江沢民集団の真理に対する恐怖によるものである。暴力や虐殺で肉体を消滅させることができるが、信仰に基づいた道徳の勇気や覚醒を抑制することは出来ない。我々は確実に言える:中国共産党当局が弾圧を一日やめなければ、法輪功の平和な抗争も、一日も止まることはないでしょう