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私は甘粛天水郡派出所悪警に誘拐され四十日も戒毒所に監禁された


2002年5月21日

【明慧ネット】私は甘粛省天水市に住んでいる大法修煉者です。99年に北京へ陳情に行ったのを理由に1年間、強制労働や洗脳教育を受けさせられました。2001年4月に釈放されて家に戻ってからも天水市政保係悪警から何度も脅迫を受けました。

2002年2月8日は旧暦の12月27日で、どの家庭でも正月の準備に追われていました。しかし、夜10時30分頃、天水郡派出所から突然数十人の警察官がわたしの家にやって来ました。警察官らは「今でもまだ煉功しているのか? 」と尋問しました。私は「煉功しています! 」と答えると、警察官らは「ではまた陳情するつもりなのか? 」とさらに続けました。私は「陳情は一人の公民としてもっている権利なのです。」と言いました。警察官らは私に外出させるため身支度をするよう要求しました。その時私は足を洗っていて、体にはただ一枚の薄いセーターを着ていただけでした。私が行かないと言うと一人の警察官らは私を強引に引っ張りました。私は大声で「何をするのですか。逮捕状を持っているのですか? 」と叫びました。警察官らは私を階段から引きずり落として「お前にはそんなものは必要ないのだ。」と吐きました。私は懸命にもがきましたが、結局警察官らに階段から引きずり落とされて車の中に押し込まれてしまいました。車の中で警察官らは私を座席に強く押えつけ、手錠を嵌められました。こうして私は天水戒毒所に連行されました。警察官らが手錠をはずした時の私の手首は血だらけでした。私はもう一度警察官らに訊ねました。「私はなぜここに連れてこられたのですか? 逮捕状を見せてください。」と。警察官らは「お前にはそんなものは必要ないのだ。」と繰り返すのみでした。

不法に監禁されてから数日間、私は何度もここの職員や、指導員に監禁の理由を問うのですが、「捕まえた人に訊きなさい」という返事しか返ってきませんでした。結局私は40日間監禁されました。監禁中私は麻薬中毒者に洪法し、真相を説明しました。彼らは皆こう言いました。「あなたたちは皆良い人です。機会があれば私もぜひ法輪大法の本をみたいです。」「あなたたち法輪功修煉者は偉いですね。出所したら私も絶対麻薬から足を洗って、あなたたちと法輪功を修煉します。」と言う人もいました。そして彼らは一緒に「法輪大法は良い」と叫びました。

戒毒所に非法監禁され四十日間、一人の警察官も私に何か聞いたことがありません。四十日経った3月20日の午前中、天水郡派出所の警察官が私を引渡しにやって来てそのまま派出所に連れて行かれ、警察官らは私の母に300元の食事代を払うよう強迫しました。私の母は私がまた彼らに毒打されるのが怖くて仕方なく300元のお金を払いました。彼らはやっと私を釈放し、家に帰ることが出来ました。

家に帰ってから、私が捕まった日に警察官らは私の家から一枚の真相光ディスクと二本のカセットテープ、1枚の大法音楽テープを没収していたことが分りました。正月に母はずっと私が悪警に迫害されることを心配して病気で倒れ、何日間も寝込んでしまったのだそうです。

私が不当に監禁されていた間に大法弟子の唐?が迫害されていた状況を知ることが出来ました。警察官らは真相資料を作るコピー機、パソコン、紙、大法横断幕及びテレビを没収したそうです。没収された大量の白紙やコピー機は戒毒所の警察官らに悪用されました。また、警察官らの女性の大法弟子への迫害は極めて残忍です。十数名の警察官らが疲れたら交替で1人の女性の大法弟子を2〜3日間拷問し続けるのです。ある麻薬中毒者は、「虐待されて大法弟子の身体がずたずたになって牢屋に帰ってきます。そして、疲れ果てて2〜3も意識を失ったかのように眠ってしまうのです。これだけでも想像を絶する迫害を受けているのかが分ります。」と話してくれました。

以上は自分自身が体験した出来事です。こんな小さな町天水ですら邪悪な政治ごろつき集団が大法と大法弟子を迫害しているのです。