日本明慧

肝心の時に本当の神になる正念場


文:カナダ弟子
 
【明慧网】三日間連続して、師父の経文が、一遍、また、一遍と続きます。それこそ、言葉では言い表せないほどの、震撼をおぼえます。私は正法過程の大事な時に私たちの前におられるのを感じています。このことを、皆さんに伝えます。
 ある同修が、この数日の間に発表された文章のなかで、99年4月25日のことを、述べています。99年、当時、邪悪物質の密度が高いと感じていました。しかし、その大部分は、師父が引き受けられました。残りも、過去3年の正法の中で(特に正念を発した中で)取り除かれました。今、私たちに対する難度とあらゆる出来事は、正法過程の作用のあとで、最初と比べる事はできません。ただ、これは、確実に、全部の大法弟子が、人の観念から出ることができるか、できないかためされている肝心の時です。

一番悪い首魁は、東欧に行っています。海外弟子は、ネット上で集団討論をした後、法理上の認識を清晰しています。たくさんの同修は、あらゆる困難をのりこえて、急いで、それぞれの所定の場所にかけつけました。どうしても、行くことができない同修は、そこかしこで、集まり、一生懸命歩調をあわせて積極的に行動しました。
ひとつひとつの法粒子は、秩序を守って、集団をかたちづくっています。正と悪が戦う時、私たちは大法から非常に堅固な力を与えられるのを感じています。

ただひとつ、私たちは無視されています。一週間の討論のなかにおいて、たくさんの西洋人同修と国内の同修がこのことに参加していません。この件は、まるで、海外華人弟子が試されているようです。しかも、海外同修はこのことで、どのように国内同修とひとつになって正念を発するか(総体形成する)話あっていません。

今日、6時に正念を発したあと座禅をしてると、ひとつの情景が頭の中に浮かんできました。中国国内の同州は、方輪大法は良いの旗を持つています。見物する人々は、大法弟子が多いのに愕然としています。大法弟子たちは、厳かで、和やかであり、どんな堅いのもでも打ち砕く秘めたる力に満ちています。

落着いて座禅をしていると、一念がでました。これは、良い事です。座禅のあとに、この時の事を思い出すと無心であったことに気が付きました。師父の新経文(神路難)をみたあとに、心の中に、さらに新しい認識がありました。

私個人としては、師父が第一遍(入无生之門)のなかで、邪悪を倒す時刻をはっきりと、決めて、教えておられると理解しました。第二編・正念正行の中では、私たちに正念ばかりではなく正行(正しい行動)も必要であり、しかも、どのようにするのが良いか教えておられます。

天上天体にあらはれる事柄は、地上でも形となってあらわれます。歴史を改め、未来を切り開く為に、私たちは地上において形として現すことが必要です。

私は、第三篇・神路難の中に、師父が私たちのために、一斉の準備をしておられるのが見えます。唯、多くの弟子は、法に対する認識が人の古い観念の認識となっています。

これでは、人の観念から出ていないので、正法が、進んでいく道についていけません。

師父は、説法のなかで、多くの話をされています。正法弟子の大部分は中国大陸にいます。私たちは、このような、おおきな天象変化のもとでも、どうにかして、中国国内と国外の同修が一つになるとことを考えないといけません。

師父は、説法〈北美巡回洪法〉のなかで、このように、はっきりと言われました。「わたしは、1999年の7月20日の時は、7月20日以前の学習者達全体自分ガ入れる位置をおしつけました。(円満成就すること)あなた達を、最高の位置までおしつけました。」

私は、あの時、私たちはこの邪悪の試練を否定する力をもっていると理解しました。

ただし、私たちの修煉は、人間の観念の中からでていません。これでは、私たちは、地上の形を現すことはできません。私達がひとの観念の中から出るのは少ないのです。

私個人として、今回のことは、再び、全体大法弟子が、旧勢力の按配を打ち壊す正法時期だと理解してます。邪悪勢力は、海外弟子を試練する事を口実にして、東欧にいくことを按配しました。すべての邪悪は魔の首魁のために、海外に付いて行きました。海外弟子が、近距離で正念を発することが、根本的に邪悪を消滅する事ができます。同時に、中国国内同州のために安全な正法環境をつくりました。実際は、師父は、私たちのこころを見ています。心が正しければ、師父は、私たちのためになんでもしてくれます。旧宇宙のなかの、以前の旧法理についていく神様たちも、文句を言いません。

私たちは、ただ、一部の海外弟子がこのような事全部が旧勢力の按配であるという認識が足りず、これを、打ち壊すことができません。全体大法弟子に、ひとつの整体として、整体形成(どんなに堅いものでも紛糾できない)されたら、人の観念の中に出てきて、新しい宇宙は、純粋な偉大な神になります。これは、正法過程の必要なものです。

(在長春輔号員法会上講法)のなかに、このような、問答がのっています。

質問 :北京の事件の堅定実修者は、どんなですか?

師  :堅定実修者は、どんなですか?あなたの質問はどのような意味ですか?みんな、はっきりとわかりません。質問するあなたは参加していません。でも、自分は堅定実修しています。このような意味ですか?この言葉のなかは、自分の円満機会を失うために言い訳をつくっています。心の用道は、わたしにきています。道理は、私が言いました。もう一回、事件、大きな事件が発生する時、全ての試練は、学員さんたちが円満するために、最も良い第1歩となります。最も良い機会です。私たち、一部の人は、人の観念の中から出ることができます。一部の人は、自分の実修するために動きません。円満する時、あなたが、動かないとあなたは、どうすればいいのですか。円満したくないただの修、なんのための修ですか!円満するための修ではありませんか!実際は、自分のために口実にしています。あなたは、別の、執着心のために、口実にしています。実修、動かないのではなくて、あなた、普段、実修していますか!こんなに、動かないで、いますか!

[根を掘る]のなかで師父が言われました。 あなた達、いつも、わたしが、連れて、上に行く事はできません。自分は走らない。法が解明したら、あなたたちが、すこし前進して、解明しないと動かない。動かないと、反対方向に動きます。こんな修煉行動は、わたしが認めません。肝心の時に、わたしは、あなた達に、人の観念と決裂するように呼びかけても、ついて来ない!もう、二度と機会はありません!

たとえ、3年前、私たちは、法を認識していませんでした。人の観念の中からでることはできないと言っていました。師父は、現在、法を全部とかれました。今、私たちは、自分で上に走っていく事が必要ではないでしょうか。

個人的な理解ですので、適当でないところは、同州が適宜、慈悲の心で訂正してください。