日本明慧

中国の教育は、我々の子孫をどこへ導いていくだろうか?

2002年6月3日

【明慧ネット】教育の仕事に従事する者として、我々の任務は非常に骨が折れる。現在、中国では多くの子供は社会の気風から悪い影響を受け、利己主義が強くて、自分中心で、他人のことを考えない。次に自分が経険した例を幾つか挙げよう。

ある日のことであった。学校で募金をつのって貧困な学生の支援しようと呼びかけたが、多くの学生は:何故私ために募金をつのってくれないかと言った。これを話した学生はとても冷静であった。しかし、我々はこのようなことを話した学生は皆生活条件がとても良く恵まれている事を知っている。

先生が宿題をチェックすると、ある学生は宿題があまり多すぎて終わらないと言った。そして、保護者が来校した時、自分の考えが満足されなければすぐ悪口を言う。ある時、先生は授業時間を延ばして、内容を多く教えようとすると、学生は「もう延ばさないで、あなたは一文にもならないのに」とまで言った。

ある先生(多分、大部分である)は自分を厳しく律することができなくて、学生に補講するとき、余分のお金を多く取る。補講クラスに参加しない子供がいれば、その子に対しては厳しくなり、授業をする時、質問を出さず、機会を見つけてその子を責める。大義名分で報復するほどである。

また、学歴の偽造、試験の偽造など多くの偽造事件が公表された。目の前、既に大学試験を受ける時、本とかノートを写すようになった。試験前、試験を監査する人と親しくする。
・・・・・・色々良くない現象、その中にいる人々は既に平気で対処する。

教育界の気風は一日千里で下に滑って行き、多くのお金はビルの建造や少数の人の福祉に投入された。いったい、我々の後代をどこに導きますか?下で示したクラス会議は代表性を持つかもしれない。

団支部の書記は会議を行い、法輪功を討論する。“法輪功は何であるか”とある学生は書記に質問した。ある学生は“法輪功が真、善、忍を提唱する”と言った。“あなたがどうして知っているのか”と質問を続けると、“町中に貼ったものは全部そういうものだ”と言った。書記は“真、善、忍がどういう意味であるか”と聞くと、“真は真のことをやり、真のことを言い、善は他人に対して優しい、忍は何らかのことに遭った時興奮しなく、喧嘩も騒ぎもしません”と話した。もう一人は“でも、‘国家’が法輪功を打撃する時、真善忍も打撃することになるから、そうすると、これから仮、悪、醜は流行るようになるよね。嘘をつくのは許すようになるよね?”と聞いた。皆さんは笑った。書記は怒ってオフィスに戻って、状況を報告した。その場にいる多くの先生も笑った。

子供達は純真だ。真のことを言うのを恐れる大人達はいつも背後でひそかなことをやるのが好きであり、脅迫しながら自分の“大人”の邪悪を隠す。“真善忍”を修煉する人々は誹謗され、制限され、教育界から追われて牢屋に拘置され、死ぬまで迫害されている。勇敢に、“真善忍”の真相を客観的に我々の子供達に教える人はいない。多くのクラスの会議で、子供達は先生がやたらに“真善忍”を批判することのみ聞かせた。声を出すのに恐れ、おとなしいぶりをする。多くの討論会では、子供達が討論しながら、嘲笑する。“この世には良い人がいない”というイメージが知らないうちに、自分の頭にきざまれ、世をすねるようになった。

知らず知らず、我々は疑い、恨みそして、信用しないということを我々の後代に伝えて、自分の醜悪を隠す。それでは、我々は何をしているのか?

先生が有頂天になるように“真善忍”を批判する時、“おとなしいぶりをする”学生を見て私が辛かった。会議を開いて“真善忍”を批判する時、遊んでいる真面目ではない学生達を見て、私も辛かった。教育は我々の後代をどこに導いたのか?

教育界の人士及び役人達が民情に気を配り、我々の子供達のために考え、我々の後代のために考慮するとお願いする。大人の用心を子供の心に乱暴に注がないで!“真善忍”を反対し、嘘を捏造して、子供が“真善忍”に対する恨みと不信任を煽動するということは我々の子供にどのように変化させるか?我々の未来は怖くないだろうか?