日本明慧

SOS新潟ウォークリレーを終えて


2002年8月6日 文/15歳の法輪功学習者

私は高校1年生です。法輪大法のおかげで命が救われ、無事高校に入ることもできました。夏休みを利用して7月20日から28日まで行われた、SOS新潟ウォークリレーに参加しました。5月24日に北京で法輪功の迫害真相のチラシを配っただけで、非法に拘束され不当に一年半の労働矯正を言い渡された新潟県在住の金子容子さんを、拷問死による命の危険から救出するためです。東京、千葉、仙台、名古屋、長野、京都、大阪、広島などから集まり、新潟県のあらゆる人々にこの事件に関心を寄せてもらうため、チラシを配ったり署名を集めたりしながら、新潟県内を歩きました。

出発日は土曜日だったため、土日に仕事が休みの人も参加して大勢で歩いたのですが、月曜日からは、私と数人の大学生と主婦以外は、皆おじいさん、おばあさんで、その中には私の祖父と祖母もいます。日本語があまり上手でないので、大学生などの学習者が毎日各市役所や町役場へ行って真相を話し、政府関係者やマスコミへ人名救助の協力を求めました。私と6人の老学習者は、各市や町の駅や人通りの多い所でチラシを配りながら署名を集めました。毎日、日中は40度を超える強い日差しの中、休憩もせずただひたすら金子さんを救いたい一心で、まるで自分の娘のように心配し、通りかかる人に署名を呼びかけていました。日本語ができないにも関わらず、身振り手振りで彼らの気持ちは十分に伝わり、どんなに日本語が上手な人よりも、この6人の老学習者が一番多く署名を集めました。一人のおじいさんは一日に22枚(約150名)も集めました。このおじいさんがズボンのポケットに入れている分厚いお財布は、中に入っているお札がすべて濡れるほど汗をかいていました。ある二人のおばあさんは足の裏に水ぶくれができ、歩くだけでも相当痛いのに、痛いとは一言も言わず我慢してまた次の日に署名活動へ出かけました。今回のSOS新潟ウォークリレーの期間中に集めた300枚(約2000名)の署名のほとんどは、この6人の老学習者が集めたものです。このうちの広島の老学習者は、これまで広島においても雨の日も炎天下の日も毎日署名活動へ出かけ、一日たりとも休んだことはありませんでした。金子さんを救うためにこんなに熱心になって人々に真相を伝えている姿を見ると、これこそまさに師父の偉大な弟子だと感動して涙が溢れ出そうでした。初めは最後まで歩ききれるかどうか不安でしたが、この老学習者達の姿を見て私も負けていられないと思いました。

毎日の食費や飲料費だけでもかなりお金を使います。仕事をしていなくて時間がある人がここへ集まっているので、なんとか節約してチラシや署名用紙をすべて自分らでお金を出し合ってコピーしていました。夜は熱帯夜で地面は燃えるように熱く、テントの中は風さえ入ってきません。まるで蒸風呂のようなテントの中で寝て、次の日の朝には身体中蚊にさされて、麻疹のように全身真っ赤なブツブツだらけになっていましたが、痛くも痒くもありませんでした。金子さんが今中国の刑務所で二ヶ月以上も、想像もできないほど苦しい生活を送っていることを考えると、多少の暑さや痒みなど気にもなりません。

夜は皆で学法したり交流したりし、朝から晩まで一時間ごとに正念を発し、一時の時間も無駄にせずこの限られた時間を一生懸命に行い、最後までそれは途切れることはありませんでした。老学習者がチラシ配りや署名活動をしている時に、大学生は役場を回り、主婦は車で送り迎えし、一人一人が粒子となり弟子全体が一つになったことで、今回の活動はよりよい効果を収めることができたと思います。新潟だけでなく、東京や全国各地においても署名活動や議員、マスコミ等への洪法を行っています。日本の弟子が協力して一つに溶け合ったことで、7月29日、日本は大きな節目の日を迎えました。東京では21人の国会議員による、金子容子さん救出の議員連盟が設立し、夫の篤志さんと会長などが外務省へ請願に行きました。ちょうど同じ時間、新潟では二人の県議会議員による記者会見が、県庁で開かれました。二人の議員はマスコミへ向けて必死に金子さんの救出を呼びかけました。こんなに多くの政府関係者が立ち上がって金子さんの救援活動を行っているにも関わらず、マスコミはこれについてまったく報道していません。今後私達は、マスコミの方々にもっと積極的に真相を伝え、金子さんの救援を呼びかけていかなければなりません。

今日8月6日は、広島に原爆が落とされた日です。57年前の今日、罪のない数万もの命が一瞬にして消え去りました。小さい頃から平和教育を受け人の命の尊さを身にしみてきており、二度とこのような恐ろしいことが起こらないよう、永遠に世界中において罪のない命が消えることのないよう願ってきました。「平和と人道の世紀」創造の発信地ヒロシマで、金子容子さんが一刻も早く釈放されるよう、世界中の人々へ呼びかけます。国を越えて一人の人間の命を軽視するようなことは、人間として絶対に許されないことです。今日一日、平和公園内で金子さんの救出を求める署名活動を行い、2200人以上もの署名を集めました。道行く大勢の人が耳を傾け、平和へのひた向きな思いの下に、金子さん救出の願いを込めて署名をしてくれました。今日のこの平和の日に一人の県議会議員が署名をしてファックスで送ってくれました。

金子容子さんはいつになったら夫の篤志さんと会えるのでしょうか。皆さんは篤志さんの気持ちになってみてください。容子さんの気持ちになってみてください。被爆者や遺族の気持ちになってみてください。困った時に助け合わないと、人間はどうやって生きていくのですか?平和都市ヒロシマだからではなく、市民だから議員だからではなく、皆さん一人一人の心に呼びかけます——容子さんが一日も早く日本へ、夫の元へ戻れるよう力を貸してください!