日本明慧

真相を伝えることから悟ったこと

【明慧ネット】2000年7月20日、先生が『昭示』という経文の中で「真実を伝える」ことを言及され、また『理性』の中で「理性をもって大法を証明し、知恵をもって真相を伝え、慈悲をもって法を広げ、人々を救い、済度します」を読み、私は人々に何を言うべきか、とずっと考えていました。その後の経文と説法の中で、先生は何回も真実を伝えることの重要性、必要性、緊迫性を述べられ、しかし、私はずっと自分がどのように言うべきか迷っていました。

私は最初に自分の身におきた迫害の事実を述べます。しかし、一部の人はしばらくして私は今無事だが、もうおとなしくした方がいいじゃないかと思ってしまいます。それで、私は人々に今でも続いている迫害を教えました。多くの修煉者が亡くなっていることを教えました。しかし、人々は怖くなり、何回も私を告発しないと言い、そそくさと離れました。そのとき、ただ私自身がまだ恐怖心あるからそうなったと考え、深く考察しませんでした。その後、“天安門焼身自殺”や“射殺事件”などがおき、私は人々にその事件のうそを暴露しましたが、人々の反応は以外に冷淡でした。これらの巧妙な事件の虚言を見破ったが、しかし多くの人は彼らはこの迫害を自分と関係がないと思い、またある時は良心に背き迫害に加担することさえありました。そのとき、私はただ現代人は淡白で正義感がなく、物事に「自分に関係しなければかかわらない」態度を取っているというように考えました。しかし、彼らの本当の命がどれほど危険なのか彼らは知りません! これは誰のせいでしょうか? これは彼らの自らの選択で、私は力を尽くしました。しかし、法を勉強するにつれて、私の考えが旧勢力に合い、慈悲をもって衆生に対していないことがわかりました。問題はどこでしょうか? 私が言った“真実”に何か問題があるのでしょうか?

先生の慈悲ある長い時間の教えのなかで、私はやっとはっきり意識することができました。今回の迫害は、人間界では大法と大法弟子への迫害という現れですが、実際はすべてごまかされた人が迫害を受けました。これこそ人々がもっとも知りたい真相です。つまり、彼ら自身も迫害の中にいることです。ではなぜ私は迫害といえばすぐに私たち大法弟子が表面で受けた迫害を思い出して、衆生を思い出さなかったのでしょうか? それは実は、私の“私”です。『転法輪』の第一講で、まず先生は私たちに言われました。生命は最初に“私心”が多くなって悪くなったから次元を落とし、従ってその“私”が高い次元まで貫いています。この“私心”があるからこそ、私が真実を教えるときいつも法から離れ、本当に“真相を説明する”ことの効果が少なくなり衆生が済度されることを妨げました。この根を掘り出して、私の“私”が真実を伝えることを妨げるばかりでなく、私の修煉のいたるところに現れ、私が長い間精進できない根本的な原因でした。壁のように私の前に立ち乗り越えようとしても乗り越えられないように見えましたが、今その壁はようやく崩れました。

以上は、私個人の悟りにすぎません。不適切なところがあればご指摘をお願い致します。