日本明慧

香港警察が法輪功学習者を裁判に追い込む事件系列表
—さまざまな兆候によって北京はこの裁判に影響を与える 


【法輪大法インフォ・センター8月12日PM12時36分の報道】

2002年3月5日
* 長春市地域のケーブルテレビ放送中、法輪功の真相を伝える番組に切り替えられた。それに対し中国江沢民国家主席は、「法輪功学習
者を容赦なく現場で射殺せよ」という内部命令を下した。
* 4名のスイス人法輪功学習者は、この射殺令に抗議するため、中国へ緊急に行くつもりだったが、彼らの中国ビザは取り消された。そ
れで彼らは香港へ請願に行くことにした。

3月14日
* 午前8時50分、4名のスイス学習者は、中国政府駐香港連絡弁公室の入り口付近で「江沢民の銃殺令をやめさせよう、法輪功学習者を緊
急救援しよう」という横断幕を掲げ、座り込みを始めた。その後12名の香港の法輪功学習者が自らの意思でこれに加わった。(香港の法
律によれば、50人までの集会を行う場合、許可申請の必要はない。)
* 連絡弁公室は午前9時から10時まで、警察へ5回電話をかけた。(法廷の証言による)
* 午前10時、数人の警察が来て、弁公室前で請願していた学習者を、少し離れたもっと狭いところ(干諾道西162号)に移動させようと
したが、学習者は拒否した。
* 連絡弁公室前の歩道は、幅約9.2メートル(約30フィート)で、学習者たちはただ数メートルしか使用していなかった。全く通行の邪
魔にはなっておらず、当時通行人はかなり少なかった。
* 午前10時頃から警察はバリケードを築き、歩道全体を封鎖した。通行人は、仕方なく他の道を歩かなければならなかった。
* 午前11時頃、約50から60人の警察が到着。
* 午後12時半、警察はバリケードの外で記者会見を開いた。午後1時10分、警察は学習者を逮捕し始めた。彼らは学習者の手を掴み、体
にある敏感なツボに手を当て、16名の学習者を待機していた護送車に押し込み、警察局へ連行した。
* 9名の学習者は、警察がツボに手を当てたことによって負傷した。彼らは、打撲傷、頭痛、吐き気及び貧弱の症状があった。

3月14日—18日
* 警察が築いたバリケードは連絡弁公室の前に5日間残され、歩道の半分以上を遮断した。

3月15日 
* 警察は学習者を法廷(西区裁判所)に追い込んだ。学習者たちは「通行妨害」で起訴され、4名のスイス学習者は、再び法廷出席のた
め香港に一週間滞在するよう命じられた。  

3月22日 
* 16名の学習者は再び法廷に出席。計4人が罪で起訴され、この中の3人は「警察の公務執行妨害執務」で起訴され、3人は「警察を襲う
」と起訴された。

6月17日—8月5日
* 裁判開廷。
* 弁護士と相談した後、裁判官は、裁判を7月3日までの11日間で終わる予定だと宣告した。(この後裁判は数回延長され、8月8日の法廷
弁論が終わるまで、26日間行われた)。裁判中、検察官側が呼び出した証人は、警察だけではなく連絡弁公室の警備員もいた。
* 「通行妨害」の証人がこれまで呼び出されたことは一度もない。
* 裁判中、裁判官は何度も検察官側に有利な裁定を下した。法廷で裁判官は、弁護士に大声で「男のように戦おう」とさえ叫んだ。……
裁判官は数回にわたって、検察官による異議と無関係な質問を許可したが、被告側の異議は拒否した。彼はまた、学習者が連絡弁公室前
のストライキの声明文を読むことを禁止する検察側の要求も認めた。学習者が「政治」的な声明文を読むことを理由としているが、実は
学習者の声明文はすでに証拠として法廷に提出された。

7月17日
* 弁護士は裁判官に辞退するよう要求したが、裁判官は拒否した。さらに検察官側は、裁判官をかばって弁解したこともある。

8月5日
* 証拠提出が終了。

8月6日から8日まで
* 原告側と被告側が陳述を述べた。

8月15日 
* 裁判官は判決を宣告。