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大法学習者張涛は長林子矯正労働所に迫害され死に至った

張涛、男性、50才過ぎ、双城出身。信仰を堅持する為、数度に亙り長林子矯正労働所に不法監禁された。張涛氏は長林子矯正労働所で絶食を持って迫害を抗議した際、強引に名前の知れていない薬物を飲まされ、その後、嘔吐、下痢を繰り返し、高熱が続いている状態にも拘わらず、昏迷状態になるまでに吊る刑をされていた。その後、やっと万家病院へ運ばれたが、放置されたまま、張涛氏は入院した翌日にこの世を去った。

2002年6月に長林子矯正労働所三大隊は特に二度目に矯正労働された大法学習者を集めた。三大隊に不法監禁される大法学習者達は迫害を抵抗ことに対して、三大隊は学習者を“小号”に閉じ込めたりした。しかし、大法学習者達はそれでも絶食抗議し、堅強不屈でいた。

厳重看守を実施する為に、所長石昌敬はよく各隊へまわり、大法学習者をやつける口実を作る。彼はよく四大隊に顔を出す。四大隊の大法学習者が侮辱されるような名札と所内の番号付き制服を断った為に、床の柱に手錠を掛けられ、寝る時も外されず、“小号”にもよく閉じ込められる。6月、三大隊の大法学習者が点呼に応じないで、しゃがまなかった為、隊長王占起に何度も“小号”に閉じ込められ、殴られ、体罰された。大法学習者李洪斌氏、張涛氏、高科氏、李忠氏、云富起氏等が絶食抗議した。しかし、王占起は絶食する大法学習者には極めて残酷な虐待をする。強引に学習者に椅子に座るが、殆どの大法学習者は絶食後の体は大変衰弱していて座ることすら体力がないことで、仕方なく、衣服を床に置き、その上に横たわる状態でいるしかなかった。王占起は強引に彼らの衣服を外し取り、わざと大法学習者に直接冷たい床を触れるようにする。又、強引に大法学習者の口や鼻から食物を流し込んだりするが、飲ませるものは名の知れない薬物で、学習者達がその後は嘔吐、下痢(黄褐色の液体を吐き出し、強烈な薬味を呈する)の症状が出て、全身高熱に纏わる。しかし、それでも更に“小号”に手かせを掛けられ閉じ込められる虐待を受け続けなければならない。張涛氏、李洪斌氏共に同様な虐待を受け、昏迷状態に陥ってからわざわざ遠い万家病院へ運ばれ(もっと近くにある病院へ行かず)、所謂“救急救命”を施すのである。しかし、万家病院に運ばれても、誰も診てくれず、同室の者から何度も救急救命を求めたが、無視された。7月、張涛氏は入院した翌日の午前8時30分に死亡した。李洪斌氏は7月14日に万家病院にて死亡した。

万家病院は恐喝、酷く殴打、そして、野蛮に食物を強引に詰め込む手段で絶食する大法学習者達を虐待する。大法学習者高曾氏は当該病院で酷く殴られ、小便失禁、瀕死状態になった。その後の情報によると、610テロから:絶食する人は死に追い込み、絶対に放してはならないとの指示があったと。