日本明慧

我々は何をしているのだろう? 
何処へ向かっているのだろう?
中国の警察官が中国人に問う

【明慧ネット】
私は中国の中年の警察官です。人々はしばしば党の支配下で、国が混乱と挫折に満ちていた、過去数十年を振り返って見ては考えました。改革開放は良いはずです。しかし江沢民集団が「真・善・忍」を修煉する法輪功の弾圧を始めて以来、我々は一体何をしたのでしょうか。一体何処へ向かっているのでしょうか。我々はこれについて考え、反省する時期だと思います。私は法輪功学習者ではありませんが、彼等のことをよく知っています。私は彼等が何を考え、何をしているのか知っています。私は警察と国家公務員が何を考え、何をしているのかはっきり知っています。江沢民の、党や国家機器を利用した法輪功に対する迫害は、大きな間違いであると私は考えます。簡単に言えば、この迫害はとんでもない犯罪と言えます。

第一に江沢民の法輪功迫害の動機は、全く自分の権力が揺るがされることへの恐れに基づくものです。だから彼は法輪功学習者が良いか悪いかにかかわらず、先を見ず、道理をわきまえず、巨大なグループを敵にしてしまったのです。第二に迫害の方法ですが、始めから終わりまで、上から下まで、江沢民がとった手段は全て違法でした。例えば江は、「常任委員への書信」を執行命令中央文件として伝達しました。彼は法輪功を、偽造した罪で有罪にし、その判決を支持する為に新しい法律を作り、証拠を偽造しました。彼は法律や規則や政策文件を、書類に記録されることのない、口述の伝達による指示に置き換えました。司法を法輪功の処理に利用し、それでいて正常な法的手順を経ることはありませんでした。更に法輪功学習者迫害の具体的手段として、多くの残虐な、非人道的で、野蛮な方法がとられました。法輪功学習者達はこれら悪人と呼ばれるにふさわしい者達に対し、何も逆らうことを言いませんでした。況して彼等は、これこれに反対するとか、何かを打倒するとか言うことはありませんでした。それなのに江沢民は、彼等が「法輪功は良い」と言うだけの理由で、彼等を死へ運命づける決心をしたのです。何と恥ずべきことでしょうか! 何と哀れなことでしょうか!

二十一世紀に入って、江集団の最優先は、法輪功迫害でありました。それに続き出現した様々な奇怪な事は、正常な心では実に理解し難く、受け入れ難いことでした。明らかに法輪功学習者は善人であり、多くはタバコを吸わず、酒を飲まず、争わない、罵らない、賄賂をとらない、横領しない、立派な政府役人達であることは誰もが知っています。それでいて江は彼等を嫌い、やっつける陰謀を巡らしました。彼は明らかに自分の勅命が法に反していることを知っておりながら、新しい、非人道的、残虐的な法律を作り、自分の手先に執行を命令しました。明らかに法輪功学習者が、高い地位に就いたり権力を奪ったりするのを、望まないことを知っているにもかかわらず、我々は学習者があれを望んだのこれを望んだのと主張します。我々は江集団が、党や政府や中国人を危険な行き止まりへと、災難の奈落へと、押しているのを知っています。それでいて我々は愛国心は江を支持することであり、彼を支持することは党と政府を支持することだと、思っているのです。これは現在の又将来の中国人の為に本当に必要なことなのでしょうか。

実際法輪功の不法迫害は法輪功そのもの以上に多くのことが関係します。明日は同じ不法手段をキリスト教や仏教迫害に用いるかも知れません。その後は政見を異にする者達や支配者に嫌われた人々にそれが向けられるかもしれません。いつになったら擁護される法治社会になるのでしょうか。今日の中国は害ある欺瞞や偽りで満ちています。嘘をつく人は昇進し、真実を告げる人は損失を蒙り、軽蔑されます。真実を言う人だけを、嘘をつく、罵る、悪行を行う人に「転化」することが主張されます。中国人は、偽善と残虐行為と醜悪に満ちた社会に住む価値しかない程、劣等民族でなくともよいではありませんか。もしも人々がその程度の基本的人権さえも保障されないのなら、人権に関するどのような話も冗談になってしまいます。法輪功を学習していなくても、人権は必要です。他人の人権を尊重し支持することは、自分の人権を尊重し維持することになるのです。あなたは、あなたも含む中国人が基本的人権を有するに値しないと本当に思いますか?

江集団の残酷な迫害の下にあって、多くの法輪功学習者ではない人々、特に学習者の家族は法輪功と聞くだけで、ひどく恐れを現わします。彼等はこの恐れを不当にも法輪功を学習する、愛する者達への憎しみへと転化させます。誰を恐れているのでしょうか? 何を恐れているのでしょうか? 明らかに法輪功学習者を恐れているのではありません。彼等は権力者からの邪悪と残虐行為を恐れているのです。この権力ある者からの邪悪圧力が、もと善人であった多くの人々の心をねじ曲げてしまいました。親しい戦友、親友、愛する者達が敵になり、不合理にも学習者に害をもたらすのです。彼等の一部は「政府の命令です、どうしようもありません。」と言って、自分を弁護します。又一部の者はこの機を利用し、恩恵を蒙り、昇進します。それとは対照に、善良なやさしい老人、婦女、子供等あらゆる社会的地位の学習者達は、自分を殴り、蹴る、武装した「人民警察」を前にし、怒りや乱暴や恐れを全く見せないのです。彼等は実に偉大です。他方、多くの法輪功学習者の家族や、僅かでも良心のある権力者達は邪悪勢力に妥協し、自分の家族や部下の基本的人権を支持する言葉を一言も話すことをしません。法輪功学習者と比較し、彼等は臆病です。

我々は一体本当に何をしているのでしょう? 何処へ辿り着くのでしょうか? 正義と良心の感覚を持つ中国人なら皆、この質問と憤りを心に持つでしょう。実際我々が本当にやるべきことは、主観的憶測ではなく、客観的規律と標準に従って事を行うことです。我々は国や人々に禍をもたらす悪循環を防ぐ為に、最善を尽すべきです。この悪循環の中で、皆がもう十分だと思い、怒りを押さえることができなくなった時、まず我々は国を引っくり返し、それから振り返って見て、間違いを正します。現状は実に愚かです。我々が変わらないなら、どうして我々中国人は成熟し、文明的であり、強大であると言えるでしょうか?

一人民警察官

2002年9月29日