日本明慧

全てのことに気を配る:ロンドンの中国大使館でアピールした時の修煉体験

ロンドンの中国大使館前で昼夜24時間連続の穏やかなアピールは100日以上続きました。この期間に私達は仏法改正のためにもっとすることがあるとつくづく思いました。私達の執着の全てが仏法を損傷するために邪悪によって利用されるかもしれません。 李先生は修煉過程と修煉者の間での助け合いにおける執着に気付く機会を用意されていました。以下がその2つの例です。

中国大使館の前で頑張り続けたのはほとんどが経済的に困難を抱えた学生達でした。
ある日他の市からひとりの修煉者が大使館に来ました。帰る前にその修煉者は学生達の必要品のための費用をおいていきたいと思いました。 学生達はその申し出をことわりましたが、彼は本当に学生達を支援したいと思ったのです。近くで働いていた西洋係の人がそれをみていました。数日後、その人はこの修煉者にききました。
「一日どれぐらい収入があるのですか?」

私達は自分達の不注意によって抜けあなを邪悪に利用されたのだと気づきました。私達の誠実な説明を通してやっとその西洋係の人の誤解が解けました。それ以後、その人は大法修煉者の親切と辛抱強さにもっと敬意を払うようになりました。修煉者達は大法の音楽が好きですから運動の動作をしている時に音楽のボリュームを高くしがちなことがありました。

また、土曜の夜にやっともっと沢山の人々が集まったので歩道でその人達と話さないではいられない修煉者達もいました。しかし、こうした状況について近隣の住民はあまりよく思わなかったので音楽と歩道にかたまることについて苦情が出ました。住民達の苦情をきいて私達はすぐに自分達の非に気付きました。

李先生は全ての生命が大法を理解する時間の余裕があるように私達は常に他の人々のことを考え、その人達の意見や気持に気を配るようにといわれました。ですから、私達はその地域の人々のひりひとりに彼女達の支援と理解に対する感謝と同時に私達の心からの謝罪の気持を表すカードを送りました。

こうした経験から私達は修煉過程においてはみためが重大、些細にかかわらずあらゆることに気を配るべきだと気がつきました。私達が非修煉者の感覚を持っている限り、それは私達の日常生活の行動に反映します。私達は心性を修煉しているのですからどこにいても、また、何をしても大法の基準に自分達を厳しく合わせなければなりません。もしそうしなければ、抜け穴が邪悪 に利用されるでしょう。

以上が私の理解ですが皆さんの意見を歓迎します