日本明慧

無実の罪を着せられ天廷に告訴、善念をもって世人に訴え:
重慶大法弟子の王積琴氏の葬儀実録(写真)

【明慧ネット】重慶大法弟子王積琴氏が2002年9月23日に地元の労働教養所で苛まれて死亡した。わずか29才だった。9月25日の午前、王積琴氏の同修、家族を含めての何十人が、真相を伝えたうえ、彼女のために厳かな葬儀を行なった。

重慶大法弟子・王積琴

大法弟子の王積琴氏は2000年6月29日に重慶市綦江県松藻石炭鉱の悪警察に非法に拉致、2000年7月29日に非法に重慶市茅家山にある女子労働教養所に送られ二年の労働教養を処された。

茅家山にいるうちに、残酷な精神及び肉体の苦しみを受け尽くし、健康状況が弱くなる一方だった。体が骨だけになったほど痩せた。しまいに日常生活でも自立できなくなった。それでも、茅家山の悪警察は「病気を治してやる」といって、七、八人の麻薬常用者を唆し強制に不明な薬を飲ませていた。それで、王さんは窒息させられ、ショックになった。茅家山の悪警察は自分たちの暴行を隠すために、命がすでに危篤になった王積琴氏を釈放した。

王さんは家へ帰されてから体調が崩れていく一方で、吐血したり、血便たりした。それに喘息、咳、嘔吐、下痢、腹部の劇痛、胸部以下は酷く腫れ上がった。大法弟子の王積琴氏は、重慶市茅家山の悪警察の拳、足または棍棒などで、残酷に殴打されていた。このように残酷に迫害されても、彼女は、真、善、忍に対する信仰を放棄しなかった、巨大な難関の中から行き抜けた。しかし彼女の体が酷く迫害を受けたため、回復できなくなり、2002年9月23日に他界した。わずか29歳だった。

葬式を行った間に、王積琴氏の母親(大法弟子)は巨大な悲しみを忍んで、まず綦江県松藻石炭鉱警察所の警察に王積琴氏が迫害され死亡した真相を伝え、また善悪には報いがあることを悪人に厳かに告げた。また親戚、友達及び世人に真相を伝えた。多くの大法弟子は巨大な圧力を排除し、自動的にその葬式に手伝った。悪警察の邪魔に対して、大法弟子は落ち着いて、強大的な正念を発し、その後ろの邪悪素因を排除していた。また、王積琴氏の夫(修煉者ではない)に相談したうえ、大法の音楽《普度・済世》を流した。

2002年9月25日の午前7時、大法弟子の王積琴氏の葬儀が始まった。空は曇っていて痛ましくて凄惨だった。親族はみな物悲しくてたまらなかった。葬列の中に、何十名の大法弟子は胸に白い花をつけ、順番に九つの花輪を持った。

そこに書いてある哀悼の弔辞は次の通り:無実の罪を着せられ天上に訴え、善をもって世人に訴える。怨みもなく憎みもなしに、俗世間を笑って見る。不撓不屈にて、金鋼真人なり。正念で我を見、冷静に世人を観る。菩薩の心をもって、善意で他人をもてなす。浩然の正気、徳が神鬼を震撼す。天理が明らかで、我が正しき名誉を返せ。人生夢の如し、世俗には善悪あり。その厳かな、悲壮な《普度、済世》の音楽は、宇宙のあらゆる生命に大法弟子王積琴氏が邪悪の残酷に迫害されつつも大法を実証していた輝かしい歴史の道程を語っているように聞えていた。行き来した人々は、みな足を止め眺めていた。

王積琴氏の母親は娘を失った多大な悲しさを抑え、葬式に参加した親族、友達にその真相を伝えた。その時、小雨が降りだした。一粒一粒、いずれ悲しい涙のようであった。

大法弟子はいっしょに合十して、王積琴氏の遺体に告別した。そのあと、大法弟子たちは、師父の経文を暗誦し、また大法弟子としての智慧、全体の威力をいかに発揮し、世人により深く細かく真相を伝えるかについて検討した。

帰って来る途中に《普度、済世》の音楽は、ずっと流れてはっきりと耳のあたりを旋回され、またこだまして山谷の中をいつまでも漂っていた......。