日本明慧

修煉においてゆっくりしたスタートから、起き上がって速度を早める
(2002年コペンハーゲンにおける法会にて)

スーェーデン人学習者の経験

[明慧ネット]私はスウェーデンに住んでおり、法輪大法を学習して二年になります。41才でソフトウェアのプログラマーです。十代の子供が二人います。私は14年程瞑想を行って来ました。又法輪大法を始める前には、3年間治療に携わりました。そうすることで、次の教育段階に進むことを期待していました。

しかし2年前、私は16才の娘が、服や男の子やパーティー以外のことを考える時期だと感じました。人生のもっと深いことに出逢う時期だと思いました。それで彼女の手を掴み、ストックホルムの南東にある法輪大法煉功場へ連れていったのです。法輪大法はそのウェブサイトが無料で学べると言うので、それを選んだのです。娘は学生で料金を支払う能力がありませんでしたから、そのことは彼女にとって重要でした。法輪大法がある種の気功であり、学習に一切お金がかからないという以外に、私はそれが何なのか全く知りませんでした。

そこで私達は五種の動作を一時間習った後学習者が言いました。「法輪大法は動作以上のものであり、それは修煉である」! 「ビシッ」。彼がこれを言ったと同時に、私は頭の中で文字通り「ビシッ」と感じたのです。私は修煉という表現を以前聞いたことがありませんでしたが、瞬間的にそれが私向けのものであることを知っていました。はっきりした理由は分かりませんでしたが、私は25年間待ち望んでいたものに出逢ったことを知りました。実におかしな感覚、説明できないのですが、心に覆い被さるようでした。実際それが何なのか理解することなく、私は「人生の重要なもの」を見つけたのでした。奇妙に聞こえるかもしれませんが、「漸く家に帰ったくつろぎ」を心と体が感じました。

後程私は中国法輪功と転法輪をインターネットからダウンロードし、読み始めました。そのすぐ翌日私はいつもの週毎のグループ治療をしに行きました。治療室に入った時、私は何故か分かりませんが実に奇妙な感覚を覚えました。とても居心地の悪い感覚でした。二時間のグループ治療の間、私の体は中が「かゆい」ような感じでした。決心を固めた後の日、私は友達に電話し、代りに法輪大法を始める意志を公言しました。そして本を読み始めました。たった五日間で両方の本を読みました。三日目ないし四日目に、私の背中は以前感じたことのない痛みを感じていました。それはまるで脊髄がハサミかオノで切断されたようでした。私は立ち上がることも座ることも、横になることもできませんでした。その痛みは本当にひどいものでした。しかし私は本能的にこれは「身体浄化」の過程であり、これを乗り越えるたった一つの方法は、煉功と本を読み続けることであると理解していました — 殆んど動くことはできませんでしたが! この状態は二週間続き、ゆっくりと消えて行きました。

始めの頃は私はビデオで動作を習い、週一度の教えを受け、家で学習していました。他の学習者に会いたくもなく、殆んど家で一人で学習していました。

後程、執着を取除くことをよりよく理解するにつれ、私はすばやく自分をもっと開くようになりました。江沢民政府のひどい犯罪行為を暴くために真相を伝えることをやり始め、他の学習者に加わりました。今日私はこう言いたいのです: 法輪功学習者のように落ち着いた、善良な人に私は出逢ったことがありませんでした。私達が会うと本当に大家族のような気持になります。スウェーデンの人々に中国での迫害について真相を伝えることに関しての討論がなされた時、私はすぐに私のこのあたりの経験が役立つことが出来ると感じました。国内外における15年間のソフトのプログラミングの仕事で、私は様々な分野の全てのレベルの企業代表者と交際してきました。これが企業界の人々がどの様に考え、行動するか、私に良く認識させました。又目指す会社から理解と承認を得る為に、受け入れられる「ビジネス情報集」を作るのに、非常な努力を要することを私は認識しました。これは推測することなく、事実のみを提供する行き届いた資料が要求されました。事実、更に事実。事実以外のものはいりません。

もちろん私はたった一人でこれをしたのではありません。書いたり増える資料を検討したりするのは、他の学習者から重要な手伝いがありました。これは確かにチームの努力であり、熟練したチームワーク無しにはこれは非常に難しかったでしょう。この仕事は私が法を認識する助けとなりました。私にとって一つのチームとして内容について出来るだけ早く、できるだけ十分な一致に達することが重要でした。長い疲れた夜間、時々やって来た苦悩に打ち勝つのに、中国の迫害されている学習者と「一体である」ことの認識は私を大いに助けました。各々の小さなステップが、最後には私達にこの長い道のりを歩き終わらせることを知っていましたから、私の仕事の経験は確かにこの6ヵ月もの長きに渡る努力をやってのける助けとなりました(そしてやり遂げたのです)。

この仕事の結果として私は、迫害についてそして法輪大法とは何なのかについて、セミナーをする用意ができました。中国で起きていることの事実を暴くことの重要性は強調し過ぎることはありません。私は自由な民主主義の国に住めて幸運であると気付きました。中国に居れば私は拷問により、死に到っていたかもしれないとしばしば考えます。 

私達世界中の学習者は皆善い行いをします: ある者は街でちらしを配り、ある者は政治家や新聞に手紙を書き、ある者は報道を地方の言葉に翻訳し、ある者は中国へ電話をかけます。私はこれら全てに感動させられ、法を正す過程の一部となれて幸運だと感じます。そんなに多くの人に届く機会があるのを知ることは良い気分です。私はそれが続く限りやり続けるでしょう。やりましょう。時間が少ししかありません。師父が言ったように「早く告げよう」。

しかし、ある部分では私はまだ初心者のような気分で、多くの向上の可能性があります。確かにまだ執着があります。しばしば私は難関を通過できず自分自身にがっかりしました。法を正す時期の中間に学習を始め、法を正す過程に放り込まれるのが早すぎ、個人修煉において「騙された」とも感じることがあります。単なる個人修煉からより高いレベルへと基礎固めする機会をもつことがなく、騙されたと感じました。始めの頃、私は家に居て閉じこもり、ただ自分で煉功したかったのです。すでにお話したように、私が自分の殻を抜け出し、救済を始めるのに長くはかかりませんでした。

今日私は法輪大法を遅く始めたのは偶然ではなく、そう按配されたのだと信じます。私は機関車のようで、ゆっくりと始め、速度が上がるとより良く行います。私は十分良く行っていることを望みます。

2002年10月13日