日本明慧

法を真面目に学び 邪悟な論調に惑われない

文/大陸大法弟子

[明慧ネット]強制労働所には、いわゆる「幇教」と呼ばれる者が言うたくさんの邪悟な論調が良く聞かれます:「あなたは地獄に行くのが怖いでしょう。地蔵菩薩も言いました『私が地獄に行かなければ、誰が地獄に行くのか』……」等。

私はこれらの問題についての認識を同修達と交流したいです。地蔵王菩薩が修煉する時、地獄の衆生が非常に苦しむのを見て、彼は「地獄を空にしないうちは、佛になりません」と願をかけたそうです。地獄は空になるわけではありませんが、なぜ地蔵王菩薩はこのような「願」をかけたのでしょうか? それは彼が洪大な慈悲心を修煉されたからだと私は思います。この洪大な慈悲心から、地獄の衆生のために、彼は佛の果位を得ることまで放棄された。ですから彼は「私が地獄に行かなければ、誰が地獄に行くのか」という話をされたそうです。
もし、地蔵王菩薩に真にこのような話があったとすれば、私達の師父が講じた法理から、私はこのように悟ります。地蔵王菩薩が修煉できたら、彼は彼以下のものに対して、できないことはありません。その時彼は彼以下のものには自分より威徳が大きい生命は一つもないのを見つけ、地獄に行ってそこの衆生を済度する能力があるのは自分しかないということを見つけました。ですから、地蔵王菩薩は洪大な慈悲心から「私が地獄に行かなければ、誰が地獄に行くのか」と言ったと私は思います。

私は地蔵王菩薩がこんな話をした意味は、彼は自分の威徳で地獄にいる衆生のことを引き受けて済度することが出来るということを示したと思います。彼がみなに地獄に行くのを怖がってはいけないと呼びかけるのではなく、彼が先頭に立って地獄に行くのでもありません。それではつまり、地蔵王菩薩が地獄に行って大慈悲な善事を行うことと、それらの墜落された生命が地獄に落ちて行くのは、完全に天地の差であり、完全に異なる二つの概念です。誰かがこのような完全に異なる二つの概念を同列に論じれば、それは噴き出しそうな邪悟やわざと誤った道へ引導することではないでしょうか?

師父が講じた法理から私達はみんな、地獄とはどのようなことか、どのような生命が地獄に行くのかが分かっていると思われます。特に私達大法を修煉している人は、師父がそんなにたくさんの常人が知ってはいけない理を教えてくれましたので、私達は非常に幸運です! 旧勢力が全面的、漏れずに、瓦解的に私達を検証する時、真修する大法弟子として冷静を保つのが必要です。特に強制労働所など邪悪な要素にコントロールされている環境の中は、邪悟な論調は氾濫して災害になり、それらはもどかしく私達を埋めてしまいたいです。ですから私達は必ず正念を堅くし、法を真面目に学び、邪悟に惑われない。このようにすることこそ師父の正法の過程に追いつき、正々堂々と合格した正法時期の大法弟子になれます。