日本明慧

法を正す中で絶えず上に突破する

【明慧ネット】つい最近、いくつかのルートからニュースが伝わって来ました。労働教養所の洗脳班で修煉を放棄しない大法弟子はすべて洗脳班でまた洗脳させられ、私の名もその中にあるとのことでした。身内の人はそれを知って焦り、私に安全な所を捜して避難するように催促し、「厳しい時期」だから決して外へ出ては行けないと要求しました。

情報の真実性はすでに証拠も得られたほどでしたが、私の心はかえって本当に静かな水のような境地を体験しました。真相を告げ、宣伝ビラを撒くことは依然として私が毎日しなければならないことでしたが、以前とは違って、私は毎日邪悪が参集する地域に向かって正念を発し、しっかりと別の空間の邪悪な要素を徹底的に取り除くことが必要でした。

ある日、2人の功友が来て、私に何人かが捕まったと告げて、私にどうするか質問した。私は冷静に、決して行かないと言った。ここは私の具体的なやり方を論じるのでなく、主に簡単に私の心の変化、そして法の中で昇華する過程を述べます。

振りかえってみると、私は以前5回北京に行って大法を実証しましたが、毎回私はよく捕まるための準備をしました。出かける前には、私の妻、子、孫たちの将来のために準備しました。天安門では私は安全のことを考えず、ただあの神聖で荘厳な時は千金でも買えないということを心掛けて、邪な徒が狼や虎のように私に跳びかかって来るまで、出来るだけ横断幕を長い間揚げて、スローガンはできる限り長時間叫びつづけました。私は大法を実証するため、世人を救るために真相を告げ、したことは宇宙の中で最も偉大で最も神聖な事でしたが、あのとき私が体得したものはただ真理を堅持し、犠牲を恐れない英雄主義的豪情と悲壮だけであった。

あのときは、私はただ天安門で横断幕を開くだけで必ずつかまると考えていて、横断幕を開くことと捕まることには一種の必然的な因果関係、完璧な論理があるものだと思っていました。現在では、これは典型的な普通の人の観念と普通の人の思惟方式のように見えます。師父は、良し悪しは一念から出ており、常人の方式で考えれば、その結果も当然のことながら常人の理にかなうだけなのです。師父は既に私たちに教えています。いかなる問題に対処する時も、修煉者は高い基準を自分に要求しなければならなず、常人の観念で問題を見てはいけません。

現在、「異なる次元に異なる法あり」を読んだとき、格別に深刻な体得をしました。全くその通りで、自分のかつて法を証明する経歴を振り返って見ると、そのときは法の理解がまだ比較的低かったことを発見しました。私たちすべての大法弟子は全員で一つの共同の体得をし、師父を助け風雨の中、一人一人の法の粒子すべてが今いる境地を一歩一歩突破し、昇華していきます。