日本明慧

「42ヶ月」に執着するな

2002年10月12日【明慧ネット】文/青山

先日ネットでの大陸学修者の話によると、そこの一部の学修者は経文の中にある「42ヶ月」を読んだ後に時間の執着が起き始めて、いくつかの法をあまり深く学んでいない学修者が甚だしいことには何もしたくなくなってただ待っていることがあるとのこと。それは大法の誤解と人間の心の執着ですので、直ちに厳しく対応しなければならないと思います。

※ 「42ヶ月」とは旧い勢力の手配であります

2002年のワシントンDC講法の中で確かに聖書の啓示録でのことが書いてあります。「悪の獣が口でもって神を四十二ヶ月攻撃すると言っている、つまり三年半の時間です。その通りかどうかはさて置いて、この邪悪な芝居は本当に意余って力が足りない最終の一歩になりました。」 しかし文字から看てもはっきり分ることですが、先生は42ヶ月の事をはっきりして無かったのです。しかし明示しました「この邪悪な芝居は本当に意余って力が足りない最終の一歩になりました」との重要な過程であることです。

歴史の中で、昔の予言はその時にはとても正確だったのですが、それは全て正法の前の旧い宇宙で生じたことであり、予測したのは旧い勢力の手配で、あれらは正法の中で多くの変化が発生してしまいました。根本的に言うと、あれらの手配を先生は根本的に承認していなかったのです。先生の弟子がなぜ旧い勢力の手配に執着することがありえるでしょうか?

※ 急いで救い済度しないのにどうして円満することができるのですか?

正法弟子の生命が存在している意味は正法を執行することで、初めの個人的修煉成果は只今日の正法をする使命のための準備でした。ただ私達は途切れなくて精進すると共に、急いで救い済度を行うことで、ようやく正法弟子にあるべき威徳ができ、同時に自分の天体の宇宙が新しい宇宙の要求によってより良く改まって豊かになることができるし、私達を待ち望んでいる無数の天国の生命を救う事が出来ると思います。もし人間の心の執着で、座って何もせずに先生がしてくれるのを待っていることは、先生が私達を救うために私達に用意してある最もすばらしいすべてが要らないということに等しいことであり、それではいかにして円満することが出来ると思いますか?

※ 旧い勢力の手配を突破して己を修める

常人は個人の利益をめぐって自分の計画を立てるのですが、私達はそれは利己的だと思います。実のところ私達は自らこの「私」の字から抜け出そうと思いますが、思って出来ることではありません。たくさん残ってある執着は全部「私」から生まれて来るので、徹底的に「私」を捨てることが出来るかどうかで、私達が徹底的に旧い勢力の手配を突破できるかが決まるのです。

私たちは皆旧い宇宙から来ていましたので、修煉前に持っていたすべての観念、手配は旧い勢力のそこから来たものであります。先生はこう言ったことがあります。私心は旧い宇宙の高いレベルまでを貫いています。修煉者の全ての人もこれを持っています。正法弟子は必ずそれを突破しなければなりません、正法の中で必ず向上しなければならないし、「無私、無己で、先に他人があり、次に己である正覚」に修めてからようやく新しい宇宙の防衛者に対する清浄な要求に達成することができると思います。

だから、いかなる環境の中でも大法をマスターすることと内に向かって探すことは非常に大事なことで、大法弟子が最後まで旧い勢力に突破するための肝心なことです。言い換えると、旧い勢力の手配を突破するには、単なる外来の妨害を排斥するたけで達成出来ることでは無くて、同時に必ず大法の中に溶けて行くことを重視するべきで、自身の中に含まれている、旧い勢力の所から持って来たよくないものを見分けて修めるべきであり、その中には「私」が含まれており、また多くの他の執着が含まれています。