日本明慧

三言二語: 正しくすること

文/大法弟子

【明慧ネット】一部の大法弟子は、集団活動や大法のために仕事をする時には自分が大法弟子であることをきちんと意識しているようですが、日常生活や個人の修煉など全てにおいて大法の基準で自分のことを厳しく要求していない場合もあります。これは自分が大法に融合できていないことを表しているかもしれないし、更なる向上すべきところだと思っております。

「悠々たる万世の縁は、大法という糸によって結ばれ」(「神へ道は難しい」)。実は、我々と日常生活で接触している全ての人々には、初対面の人でも、大法弟子と縁の深い人でも、長い歴史にわたって様々な貴重な機縁によって今生に我々と出会い、大法を伝えられ救われるのを待っていたのかもしれません。従いまして、我々が真相を伝える時には周りの人を忘れてはいけないと思います。彼らに大法を伝えるには比較的難しいところがあると思いますが、難しいことには原因があるはずでしょう。

その原因としては、一つ目には我々自分自身に向上する必要なところがあるかもしれないし、二つ目には邪悪が彼らを直接邪魔することも有り得ると思います。従いまして、彼らに慈悲を持って真相を伝える時には、我々は常に正念で彼らを邪魔している邪悪を排除することを念頭に置かなければならないと思っております。

その他、我々の中の外国語に得意ではない一部の学員達は、常人中の高い地位を持っている人々に洪法することを恐がっているようですが、実は、長い歴史では我々が彼らの王又は彼らの主となっていたかもしれません。我々は師父の教えた通に「如意の真理を持ってきており、こだわることなく、四海を歩く」(「如来」)のようにするべきであり、人間の観念に制約されてはいけないと思います。