日本明慧

公安副局長一家の法を得た話

【明慧ネット2002年10月14日】ある公安副局長は、法輪功が弾圧される前に少しだけ煉功したことがあった。弾圧が始まると、公安局は法輪功へ様々な圧力をかけ、テレビや新聞なども法輪功へ罪をなすり付けており、彼は困惑した。それ故、《転法輪》を読むことにした。一度読んだところ、法輪功が正しいと感じ、二度読んでも、やはり法輪功は正しいと思い、三度読んだところ皮膚が変化し、きめが細かくなった。その変わり様に家族全員が感心し、そして、一家で煉功するようになった。家に一つの煉功グループが誕生した。この一家は、自らの考えで《転法輪》は良い本であると判断した。
 
実際には、中国において、自らの考えで判断し、正しいことを言うことは、ほとんど不可能であり、中国における社会的現象の一つでもある。ある研究者が、儒学に対する研究は、多くの学者が独自の見解を表し、その所見を記述したと発言した。ところが、これらの学者たちは《四書》を読むことは無かった(注《四書》は儒学の元書)。その所見は、他人の論争あるいは、書籍を参考として、それらに自分の考えを加えたものに過ぎなかった。まことに、残念なことであり、悲しむべき現象でもあった。

これは、今日の出来事といかに似ていることであろうか。江沢民政権の法輪功への弾圧により、多くの人が自らの判断をすることができず、虚偽のニュースに傾き、結果として思想が操られてしまった。

どうぞ自らの考えにより、自らで判断してください。心を落ち着けて、《転法輪》を一度読んでみてください。思いがけない発見に出会うかも知れません。