日本明慧

三年の苦難は私の堅い信念を変えなかった

中国大陸学習者筆

【明慧ネット】1999年12月2日、私は北京へ請願に行った。しかし予期せずして、請願所に名前を登録した後地方警察によって唐山市へ送り返され、第一看守所に入れられ、そこに一年程留置された。その間市公安局、看守所、私の仕事場、家族が皆私に信念を捨てる為のいわゆる「保証書」を書くよう圧力をかけた。私は大法への信念を決して捨てないと言った。ある日看守が集会で法輪大法の悪口を言った時、私は手を上げて「法輪大法は良い」と叫んだ。集会に来ていた数百人の人々はあっけにとられた。私が意図するところは、法輪大法の真相を知らせることにあった。

看守所全体の集会で、教導員が法輪功学習者達は教育が低く、妄想的だと悪口を言った。彼は一人の学習者に教育について尋ね、答は大卒であった。それから教導員は私に質問した。私はパテントを持っており、私の名は「中国当代発明家大辞典」に載っていると答えた。教導員は壇から降りて、一言も言わずに去って行った。

看守所の生活は辛かった。朝食に私達はとうもろこし粉のお粥をお碗に半分食べ、昼食は一片の蒸しパンとスープをお碗に半分、そして夕食はとうもろこし粉の蒸しケーキとスープ半分であった。部屋はとても窮屈で、夜は体の片側を下にして寝るだけの余裕しかなかった。一年中冷たいシャワーしか浴びることが出来なかった。暑い夏は数日に一度しかシャワーを浴びるのを許されなかった。その様なひどい環境の下に、私の健康は衰えた。身体中に皮膚の腫れ物が出来、体重は95kgから70kgに減った。倒れそうになったことが何度もあった。あまりに弱った為、私は釈放された。しかし、釈放されて二日目に私は洗脳所へ送られた。そこへ連れて行かれた後、昏睡状態に陥ったので、私は再び釈放された。

2002年1月天安門広場へ行き、真善忍と書かれたバナーを両手で掲げ、「法輪功は良い」と叫んだ。そして又唐山第一看守所へ連れ戻された。

ある晩看守所所長劉浩が私達の小室にやって来て、私の同室人達に私を眠らせないよう命令し、彼等は私に信念を諦めさせるよう説得するのに、三日間の期限を与えられた。だから彼等は順番に私に話しかけ、二晩続けて私を無理やり立たせた。囚人長は十人以上の人に服を脱がせ、私の周りに跪かせ、信念を諦めるよう頼んだ。私の心は動かなかった。三日目にガードが、他の人が書いた「後悔書」を声を出して読むよう言った。私は拒否した。彼は私の服を脱がせ、警棒で殴った。自分が殴り疲れた時、彼は他の囚人に殴り続けるよう命令した。その結果私の尻は血泡だらけとなった。それから彼等は私に鉄製椅子に七日間続けて座らせ、その結果私の足はすっかり腫れてしまった。ガードが私に「認識書」を書くよう言った時、私は「法輪大法は正法」と書いた。私は又も五ヶ月間不法留置された。

今年7月5日私は唐山市荷花坑強制労働所第6チームのいわゆる「厳格管理班」に送られた。そこでは私達は朝6時から翌朝2時まで小さな台に座らせられ、その後漸く寝ることを許された。毎日同じことが繰り返された。ある日ガードが私に無理やり労働させた。労働を始めてまもなく私は意識を失った。しかし彼等は私に休息させる代りに、砂を積むよう言った。

多くの日が過ぎて行ったが、私は堅く信念を保った。隊長の王玉林は班長に私を殴るよう命令した。班長は私を彼の寝室へ連れて行き、ドアを閉めた。5、6人が私を気を失うまで殴った。気を取り戻した後、王玉林は私を独房に入れた。そこには50cm幅の鉄製ベッドがたった一つ置かれていた。彼等は手錠やロープを使って私の手足をベッドに固定した。タバコ用ライターを用いて、私の体のあらゆる部分を焼いた。それから太さ約3cmの木製棒をとり、その一方を私の片方の大腿部の下に差し込み、他方をもう一方の大腿部の上に置いた。そして他方の足を強く上から押さえ付けた。私はひどい痛みに悲鳴を上げた。彼等は私の口にタオルを三枚詰め込んだ。二日目に独房から出た時、私の体は傷だらけだった。大腿部の内側は大きな傷がいくつもあった。腕はうまく動かなかった。左腕の方がひどく、完全に知覚が無くなってしまっていた。歩くのも困難であった。私が死にそうなのを見て、病院へ送った。検査の後医者は、肝臓と腎臓の機能に異常があり、肺は感染していると言った。血液検査も異常を示した。左腕の麻痺は、神経の損傷によると言われた。その時私の体重は64kgしかなかった。わたしの家族はこの迫害に対し告訴するよう弁護士に頼んだが、彼は上からの命令で法輪功学習者を弁護することは出来ないと言った。

中国において、法輪功学習者の迫害は非常にひどい。私は単に法輪大法のことを良く言っただけで、二年二ヶ月留置され、迫害に苦しんだ。今も数万人の大法学習者が江沢民の悪党に残酷に迫害されている。世界中の全ての善良な人々が正義の側に立ち、真善忍を求める学習者の迫害を止めるのを助けるよう、私は心から望む。

2002年10月28日