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四川永川刑務所は犯罪者を使って私を酷く殴打、侮辱

【明慧ネット】私の名前は羅向旭。男性、31歳。重慶江北通用新村185-9に在住。重慶江北区の大法学習者である。2000年7月23日夜中の2時、私は自宅で拉致された。江北区裁判所は2000年12月22日に裁判を行い、また2001年1月18日に再び秘密に開廷した。2001年1月20日に私に対する所謂「公開裁判」では、私は、でっち上げの罪名で不法に4年の刑を言い渡された。法廷で、警察は完全に法律を無視し、傍聴者がいる前で私を酷く殴った。その後、事務室へ連れられ、数名の警察は更に私を酷く殴っていた。2001年4月28日に、私は永川刑務所集中訓練隊へ送られた。
 
法輪大法は修煉者に真善忍に同化し、如何なる情況に於いても善い人でいなければならない、
より善い人でなければならない、完全に他人の為に生きる善い人でなければならないことを教えてくれた。しかし、江沢民政治ヤクザ集団は私達に残酷な迫害とヤクザ的な虐待をするのだ。
 
そこで、私は永川刑務所で受けた迫害の真実を世の人々に摘発する。善良な人達に是非今中国で起きている法輪功学習者達に対する迫害を制止するように、また、法輪大法に潔白を返し、李洪志大師に潔白を返すよう呼び掛ける。

集中訓練隊では私一人に対して、6人の警察また6人の犯罪者がグループになって洗脳を行なう。犯人たちは、劉勇、羅大明、廖建、任建軍、楊俊祥、周浩田である。その間に、これらの犯罪者は、私に施した酷刑などを他の人に披露することを厳禁されている。また、私の件に関係しない幹部が私のことを問うことも禁じられている。それに毎朝、衛生検査をする警察でさえ、私の部屋に入ることも禁じられている。昼間は、4人の犯罪者に看守されながら肉体労働させられる。石炭や糞を運んだり、土を掘ったり、草むしりをさせられたりした。夜は寝かせないように二人の犯人に監視される。
 
ある時、犯罪者が私に虐待を加えた際、他の幹部が私の鳴き声が聞こえたので、その犯罪者に休ませるようにと言ったが、しかし、直ぐその犯罪者に「あなたはこの件に係わる権利がない」と突き返され、また虐待を続けた。又ある時、夜になると“虎の椅子”の酷刑を施されていて、夜中の2時頃に、私は失神して倒れた。そして翌日、中二隊の副隊長は私に“お前が死んでも、集中訓練隊もせいぜい80元の火葬料を出すくらいなのだ”と言った。
 
私は酷い殴打を受け、そして、過度な肉体労働のために背中が腫れ上がった。一度、彼らが私に師父を罵る言葉を書かせられ、私は拒絶した。その為に、羅大明、廖建は強引に私の指、手首、腕を掴り、引っ張ったり、捩じ曲げさせられたりした。同時に、劉勇は私の顔を引っ叩いた。その後、彼ら犯罪者は又も私を酷く殴打し、強引に私の指を掴み捺印させられた。(彼らは私の名義で“批判書”を作成したのだ)その批判書はお上に提出したが返された。周浩田は再び作成し、警察黄飛が読んでから私に強制的に写すように言われたが、私は断ったので、彼らに又も酷く殴打された。酷い殴打の後に、3人の犯罪者(羅大明、廖建、劉勇)は私の衣服、ズボンを全部脱がし、ベッドに押さえられ更に性の暴行を加えられた。
 
一度、彼らは私に自分の家族に“転化した”との手紙を書かせる、また、他の中隊の大法学習者を“転化する”ように言われたが、私はどれも断った。それで、又も酷い仕打ちを受けた。彼らは十本の指で私の頭を抑え付け、親指でこめかみを強く押し、強引に私の指を引っ張ったり、腕を捩じ曲げたりして、さまざまなひどい酷刑を加え続けられ、午後のあいだに、ずっとそれらに酷刑をされていた。その後また、私に強引に笑わせ(私は一度も笑ったことはなかった)、強引に歌を歌わせた。又、バトミントンのプレーをさせられた。(あたかも私が喜んで転化するようにみせかけるのだ)。
 
私と一緒に労働している4名の犯罪者は交代で休憩が取れても、悪党警察は決して私に休ませない。外で労働する時に、武装警察の家族や他の犯罪者の家族は、私が法輪功学習者であることを知ると、“XX党は何故こんなに誠実な人をここに入れて虐待するのだろう....”等等を言う。
 
任建軍は私に次の内緒を言ってくれた。中隊の話によると、刑務所管理局から命令が下り、私に転化させなければならない。従って、私に転化させる為にあらゆる手段を使っても構わないという。
 
彼らの残酷な手段を隠す為に、中隊大隊長趙XXは刑務所内の大会上で次のように明言した。「交互監視組を設けたことは上部の同意を得てやったことだ。従って、宿舎内で叫びやちょっとした音があったりして、それについて聞きに行ったり、見に行ったりする人は、ないし当直する人をも含めても、その行為は違法となるのだ。だれでも、その事をかってに喋ると、監禁されることになるのだ。」。以前も、ある犯罪者が私のことをすこし言っただけで7日間も監禁された。
 
今年の4月20日に、刑務所は強盗のように無恥に“転化”の感想交流会を開いた。会場で多くの学習者はスローガンを叫び、邪悪を暴いて、抗議した。私もその場で彼らが私に“批判書”を強引に書かせる為に、変態犯罪者に性的暴行を加えられたこと、そして、酷い殴打をされた犯罪を暴いた。それで、私はすぐ会場から連れ出された。その後、午前中に会場からのスローガンをあげる声がずっと聞こえていた。
 
表面上では、刑務所の所長唐氏が多くの人の前で、強引に書かされた一切の書類を私の前で全部焼いてくれることを約束した。そして、中隊の黄飛氏も同じ事を約束してくれて、それらヤクザがしたことは彼らと関係なく、また実行した者を処罰し、今後は同じようなことを起さないように保証してくれた。がしかし、裏では、新たな企みが潜んでいたのだ。
 
5月10日、私は突然に集中訓練隊から四区七中隊へ移送され再び洗脳を受けることになった。永川刑務所は犯罪者の張永紅、周成兵、江山、王らに私を虐待するように仕向けた。彼らは私に強制的に罪を認めるように酷く殴打し、トイレへ行かせないように、睡眠を取らせないようにあらゆる体罰を私にさせた。
 
一度、私は彼らに夜9時から朝の2時まで虐待、酷く殴打され続けられた。
 
又、これらの犯罪者が私に罪を認める書類や懺悔書を書くようにさせられたが、私は断った。それで、張永紅、江山、王、周成兵、彭先勇、石小偉らの犯罪者は私を朝の8時から昼の12時まで酷く殴打し続けた。
 
これら犯罪者は割竹を使って、私の足踝、膝、脹脛、体を切り叩き、木の椅子で私を殴り叩く。彼らは常に私を体罰するのだ。ある日の午後、炎天下で走らされていた私は熱中症になり、嘔吐が止まらなくなるまでに休んでもらえなかった。
 
又ある時、彼らは私の足の傷を見る為に私にズボンの裾を上げるように指示した。そして、両足共に虐待によって爛れていることが分かった時、何処が一番痛いのかと聞いた。私は右足が一番痛いと答えたら、彼らは又も割竹を使ってその一番痛い場所を殴ったり引っ叩いたりした。その後、周成兵は私に「劉中隊長があなたを転化させる為に二つくらいの骨が折れても構わないと言った。」と漏らした。
 
彼らは、お上の検査を通させる為に、私が“自ら転化した”との仮の事実を作った。私は強制的に笑わせた。彼らは私に鏡に向かって笑う練習をさせられ、笑わなければ又も酷い殴打を受ける。中隊長の劉氏は私が強制的に彼らが作った中傷的な内容のものを写した時にだけ、私に“関心”を示した。彼は殴られ青あざだらけになった私の顔、酷く殴られ爛れ腫れている私の足、殆ど歩けない状態などは、ことごとく見て分かるはずだ。

ここで厳重に声明を発表する。永川刑務所集中訓練隊及び永川刑務所四監区七中隊に強制させられ書いたのもの全て、言ったことの全ては、一切無効にする。私は惑ったり動揺したりせずに法輪大法を修煉し続ける。これからも如何なる環境の中におけれても、私はしっかりと大法を学習し大法を実証していく。