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九、十月の二ヵ月間に49名の法輪功学習者が迫害され死亡

【明慧ネット】法輪大法情報センター11月3日の報道によると、九月に中国では、29名の法輪功学習者が迫害され死亡した、およそ毎日一人だった。十月にまた20名の法輪功学習者が迫害され死亡したという。統計によると、この迫害を受け死亡した49名の法輪功学習者はそれぞれ遼寧、河北、黑竜江、四川、山東、甘粛、吉林、湖北、山西、天津、北京、江西、貴州、河南等の14の省、直轄市に属している。その中、遼寧省では11人、黑竜江省と河北省ではそれぞれ8人が虐殺された。

49名の法輪功学習者の中に、労働者、農民、商人、知識人、出家のお坊さんがいた。また現職の共産党支部の書記や戸籍係りの警官もいた。彼たちの多くは警察所、労働教養所の中に酷刑を受け直接に命が奪われたのだ。

この49名の死難者の中に、少なくとも8人が60歳以上の老人だった。しかも、5人が女性だった。彼らは年と体の弱いにもかかわらず虐殺された運命から逃げられなかった。この8名の老人は湖北武穴市の61歳の梅中全氏、河北深州市の67歳の劉富琶氏(女)、河北安平県の64歳の張建勲氏、黑竜江大慶市の63歳の王淑琴氏(女)、遼寧錦州市の61歳の劉智氏(女)、山東青島市の61歳の劉吉明氏(女)、天津の63歳の陳宝亮氏、甘粛天水市の70代の老人程桂蘭氏(女)だった。

北京大法弟子の王潺氏は8月21日に山東梁山県バス停に警察に連行され、狂ったような虐待を受けた。そして、8月28日に山東済寧市警察所で酷刑され死亡した。王潺氏は山東工学院を卒業し、亡くなった前は中国人民銀行総行に勤めていた。王さんは長期間に流離させられた後、不法の官員は10万元の懸賞をつけ彼を追っていたのだ。

黑竜江阿城市戸籍係りの警官の白秀華氏、酷刑され2002年8月28日に死亡した。良い人なのに迫害され亡くなった。彼女を知っている人たちは彼女のために不平を訴えたし、多くの人たちは彼女の葬儀に参加した。

四川邛崍(キョウライ)保健院長の廖朝斉氏は2002年9月25日捕まられ、8日後の10月3日の夜十時過ぎ、大邑県公安局の悪警に虐殺された。情報によると、「彼女の左顔には大きいな真っ黒の傷跡が残っていた。それは拳で打たれた痕だった。彼女は両手が牢屋の地面の釘に手枷で36時間もかけられ、トイレも行けなく、睡眠もできなく、ご飯も水もできなかった。廖志斉氏は絶食で抗議したため、警察は枷で彼女を 「大」の文字の形をさせて刑具にかけて、鉄の器具で口を抉じ開け、唐辛子の粉と塩を強制に入れた。

吉林公主嶺市の31歳の若い母親の支桂香氏、2002年7月19日に捕まられ8日後警察の朱志山に酷く殴られ死亡した。その後当悪警は支桂香氏の家族に「すきなほどに告訴しろ、おれは怖くない、どうせ上がこうさせたのだから。」と張り上げた。

江西武県の陳建寧氏(31歳、男)、8月28日の午前に連行され、当日の午後、生き生きしているうちに警察に殴られ死亡した。凶手は今でも法の裁きも受けず自由自在に振舞っている。ところで遼寧鞍山の張麗氏は、8月27日に酷刑され死亡した、亡くなった前に病院に送られた時でも、手枷と足かせもかけられていた。

山西臨汾市の張忠傑氏は2000年に北京に陳情にいったので警察に虐殺された。親族たちは今でも如何に彼のお母さんに知らせるかと困っている。かわいそうな老人は息子を懐かしく思って、毎日町に出て息子の名前を呼んでいて、精神ももうろうとなってしまった。

10月31日まで、三年間にすでに確認された、迫害され死亡した中国法輪功学習者の人数は510名に上った。最近の二ヵ月に死亡した49名の法輪功学習者は三年間死亡者総数の10%に接近している。中国政府の2001年末の内部の統計によると、迫害され死亡した本当の人数は民間で確認した数字を遥かに超えているという。最近、海外の法輪功学習者はすでに 「国家恐怖主義を実施する」という罪名で中国独裁者の江沢民を国際法廷に告訴した。