日本明慧

私が河北省辛集市公安局で受けた残酷な体罰の事実

2002年11月4日 

【明慧ネット】私は唐秀?と言い、35歳で、河北省辛集市徐家庄の住民である。1996年、私は体が極端に虚弱で、人生の希望を失っているところ、法輪大法にめぐり会った。大法は私に新しい人生をくれた。

大法は誹謗中傷されてから、私は99年の10月に政府に真実を陳情したことによって、半月拘禁された。その後、3年間の間に辛集市興華事務所、警察所の人は私を逮捕するために、何回も我が家を不法に捜査した。私はやむをえず、家から出て、流離の生活をしていた。

2002年9月16日の朝、私は法輪功の真相資料を配る時、悪人に見つけられ、辛集市公安局に連行された。610弁公室の十数名の悪警察は私に対して残酷な虐待をして、重傷を負わせた。先ず悪人たちは電撃警棒で私の体の敏感のところを電撃していた。私は死ぬほど苦しかった。それにしても、私は彼らの要求を断った。そして更に残酷な方法で私を虐待した。私の両手を体の後ろに回し電気コードで縛って、そのままロープで吊り上げ、顔が下に向いて、更に背中に数十キロの本や新聞紙を載せて、体が宙吊りのまま揺らされて、耐えられないほど辛かった。痛んだため意識が失った時、水を掛けられ、飲まされ、水に噎せて私は激しく咳をし出して、そして心胸部に破裂したような激痛が走った。もう我慢できないところで、私は大声で“大法弟子を迫害するのは許さないぞ!”と叫んだ。すると、突然に両手が前に廻ってまっすぐ上に伸びた姿勢に変わって、両足も地面に着いた。この様子を見た悪人たちは呆然となって、独り言で“おかしいな、どうしたんだろう”と驚いた様子で話した。そして慌てて私を下ろした。

夜に、私を椅子に縛ろうとしたが、私は強く抵抗したので、また殴られた。悪人たちは必要な情報を私に言わせるために、精神を混乱させる薬を飲ませようとしたが、私の強い抵抗によってできなかった。

辛集市公安局政治保安課の耿超は“言わなければ、あなたの衣服を抜いて、裸体の写真を撮って町に配って皆に見せるぞ”と私を脅した。私は“あなたにも兄弟姉妹、妻と子供がいるのに......"と厳粛に言った。

現在、私は辛集市看守所に拘禁されている。迫害によって生じた体の障害で、身の回りのことが自分ではできなく、他人に頼りながら生活しなければならない。今、私は不法の拘禁と不法の尋問を抗議するために絶食している。私はすでに訴状を書いて、610弁公室の悪人の犯罪行為を告訴する。