日本明慧

大法の勉強、師父の浩大な慈悲と並大抵の苦心を感知

文/大法弟子

【明慧ネット】「同修の間でお互いに寛容、理解し合う、法を習う、正念を放す、真相を伝えるべきです」との師父の教えから、私はその浩大の慈悲と並大抵の苦心を感知しています。

以前、同修の間でお互いに寛容、理解し合うことについての師父の教えを読んでいる度に、自分の考えでは我々は同修の不足なところを寛容、理解するべきだということだけでしたが、最近、この師父の教えを読んでいた際に、其の裏にある第二の内包があることを悟りました。実は、この言葉には師父の浩大の慈悲と並大抵の苦心が含まれており、それは我々が罪業を作ることを防ぐためなのです。なぜならば、我々はそれぞれ各自の次元にて修煉しており、それぞれ各自の次元における人心を持っているため、問題が出ている際に時々自分自身に向けて答えを探すことが出来ず、自覚せずに自分の次元の基準を用いて他人の心性を推測したり、判断したりしてしまい、無意識に罪業を作ってしまうかもしれません。それを防ぐために、師父は最善の方法を考えて「どんな場合においても、同修を寛容、理解すべき」という教えをくださいました。この教えは、高次元の生命の低次元の生命に対する慈悲の境地を現すことだけではなく、低次元の同修が罪業を作るのを防ぐことも出来ます。実は、師父は「転法輪」にてこのような教えをくださっています。「彼は常人の理で佛の心性を測ろうとしますが、測れるはずがあるでしょうか? 常人の基準で高次元のことを判断しようとしますが、そんなことができるでしょうか? こうして、生活の中の辛さを自分に対する不公平だと思い込むことが原因で、多くの人が見る見るうちに堕ちていってしまうのです。このようなことはしばしばあります。」このような師父の浩大の慈悲と並大抵の苦心を体得できた時に、私は私達が良くやらなければいけないと思いました。

まだまだ我々は師父の講法にある深い内包を理解できないかもしれませんが、師父の講法の要求どおりにすれば良く、その裏には一層深い内容があるに違いありません。以前の同修からの文章をまだ覚えております。彼は師父の経文「猛撃一掌」にある「・・・・・・『精進要旨』を十回読むことを皆さんに薦めますが、心が静かでなければ、法を学んでも意味がないのです。心を静かにしてから学んで下さい。」という教えに注目しました。当時、彼は師父の意図を良く分かりませんでしたが、師父の教えた通にすれば良いのだと彼は思って経文を読み続けました。彼はわざわざ経文を暗誦することはしませんでしたが、いつのまにか全ての経文を自然に覚えました。この同修の体験したことを通じて、私は師父のこの教えを思い出しました。「私が教えているのは大法です。」その時、この「大法」という文字が私の頭にふっと思いつきました。「大法」が「道」であり、「道」が「理」です。師父の教えどおりにすれば、それなりの「道理」があり、我々には思いつかない効果があるはずでしょう。例えば、師父は何度も私たちにこの教えをくださいました。「法の勉強、法の勉強、法の勉強をないがしろにしないでください。」師父が講法する度に、面倒をいとわずこの教えをしておられています。最初、我々にはこれについて、法を勉強するのが我々の修煉にとっては前提かつ基礎であり、修煉を指導する基本であり、向上と円満の保証であると理解した方が多かったと思います。けれども、師父が「北米巡回講法」でそれについて新たな内包を我々に教えたと私は悟りました。「大法を勉強する過程は、我々が自分と関連している衆生を連れて大法と同化している過程であり、彼らを大法の基準に回帰させる過程であり、彼らを連れて法を正すことに参加する過程でもあります。」従いまして、私個人の次元で理解すれば、師父の「法を正す時期の大法弟子は三つのことを良くやるべきこと。良く大法を勉強する、良く真相を伝える、良く正念を発する。」との教えは、実に師父が私たちに任せている任務であり、我々がこの人間の世に来て実行すべき義務です。我々にはこれらのことに対して責任があり、偏らずに一つも欠かすことなくやるべきだと思っております。そうしないと、法を正すことに全心身を投入したとは言えず、法を正す時期の大法弟子の円満とも及ばないでしょう。

これを考えると、私は人類の言葉で師父の浩大の慈悲と並大抵の苦心を現すことが出来ないと感じています。師父からの全ての言葉、全ての字に、我々大法弟子に対する綿綿とする至れり尽くせりの配慮が現れており、私たちはまだそれを体得していないだけです。我々が心の底からこれを感じている時は、後悔に陥らずに更なる精進する動力になりましょう。これからも、時間を無駄にせずに師父が指導した三つのことを良く行い、偏りや師父の大法を自分に都合のよい部分だけを引用、理解するなどをせず、そして時間に対する執着を放棄しましょう!これらの三つのことがどこまでできているのかが、法を正す過程を決める肝心なところでありましょう。大法が人間を正す時を早く迎えるために、師父が抱いておられる宇宙を正すことの偉大な念願を早く果たすために頑張りましょう、これだけが我々の師父に対する最大の報いでしょう。

以上は私個人の体得であり、不足なところがありましたらご指摘いただければと思っております。